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清州城と三英傑 [三英傑]

織田信長は、1555年に那古野城から清州城に移り本拠としています。
約10年間清州城を居城としている間に、
信長躍進の第一歩を踏み出す事となった、
桶狭間の戦いにこの城から出陣する等、
歴史の表舞台に登場しました。

1562年には、清州城において、信長と徳川家康の間で
清州同盟 が結ばれ、
天下統一への足固めを進め始めています。

1582年に、本能寺の変で信長がたおれると、
清州城にて信長の跡目を決める-清州会議-が開かれて、
羽柴秀吉が、同じく本能寺にて戦死した信長の
長男 信忠の遺子三法師を跡継ぎに押し、
自らが後見人と成る事に成功したのです。

清州城は、跡目争いで退けられた次男 信雄の居城となり、
天守を備えた巨大な城郭と城下町がつくられます。

関ヶ原の戦いの時には、福島正則が城主を務めており、
小山評定にて山内一豊が、自らの城と兵糧を
家康に差し出すと発言した事により、正則を含む
  東海道の豊臣恩顧の大名がこれに続いています。

その為、清州城は東軍の最前線の城となり、
西軍に付いた織田秀信の居城であり
信長の築いた岐阜城攻めの拠点となったのは皮肉であります。

関ヶ原以後は、松平忠吉、徳川義直と城主が変遷し、
天下の名城として名を馳せましたが、
1610年徳川家康は、清州を廃城にし名古屋城を築城して、
町の建物と機能の全てを移転する-清州越-が行われました。

現在は、土塁の一部が残る本丸跡が清州公園として整備され、
桶狭間の方を睨んで建つ信長公の像と顕彰碑があります。

現在の天守は、清州城跡に隣接する広場に造られた模擬天守です。
10年位前に訪れた時より、展示は城下町や武士の暮らし、
火縄銃体験など 内容・量ともにパワーアップしています。
特に、壁新聞になっている、戦国時代の-東スポ-をイメージした新聞は、
出来事からスクープ、広告まで、当時の言葉を使って、
とても良く出来ており、時間をかけて読んで回るのがお勧めです。

今年の大河ドラマ〔江~姫たちの戦国〕の放映に合わせて、
江と三英傑のやかたがつくられ、
ドラマで使われた衣装や小道具、出演者のサインなど
が展示され、映像と共に楽しめます。

戦国グッズが買える土産屋からフードコートまで、
たっぷり戦国気分に浸れます。

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110417_143252.jpg清洲城と大河ドラマテーマ館







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