彦根佐和山背景の井伊家縁の神社仏閣 ―滋賀彦根② [城下町]
前回、旅の半ばで断念し戻る事態となりましたので、
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2017-07-11-1
今回こそはと、予定していた名所を巡るべく、再び彦根へ
前回途中帰宅となりました件の引き続きからの、逆順となってJR車内にて
バタバタで何とか調達したパンをかじっての昼過ぎからのスタートです。
彦根ご城下巡回バス に乗り込みます。
運転手さんよりチケットを購入、ガイドの方の説明を聞きながら巡ります。
遠江井伊谷-龍潭寺-を訪れた際のブログ
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2015-09-04
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2017-06-06-1
今回は、これまでも数回訪れた彦根城や城下町では無く、
何年来JRの車窓から見える度、ずっと気になっていた寺院が、
遠江井伊谷から分寺し、龍潭寺の五世・昊天禅師を招いて建立した
と、やっと知りまして、彦根『龍潭寺』 にて下車しました。
映画「関ヶ原」ロケは、石田三成に縁の近江で多く行われたそうです。
巡回バスの車中にてガイドの方よりの説明のあった、界隈の名所の
彦根の日光と賞された大洞弁才天などの方向も確認をしておきました。
JRの車窓から見える、寺院や鳥居、山中の看板 -佐和山城跡- 等
ずっと気になっていたのが、実際にじっくりと観られ、カメラにも納めます。
長林稲荷大明神
井伊家の江戸上屋敷の守護神だったとか、明治五年に遷座され、
清涼寺の境内にて、当地の智慧辨戝天・白山妙理大権現に合祀
との事の様です。
清涼寺
映画「関ヶ原」ロケ地となった様です。
ガイドの方の解説で、彦根藩主・井伊家の菩提寺との事です。
井伊直政の墓所として直孝が開基
本殿の写真です。 本堂、禅堂、墓所などは非公開だそうです。
目にする事の出来る 生垣も、客殿にも圧倒される位
寺の裏には、かつて佐和山城がそびえ、境内あたりは
三成の重臣、島左近の屋敷があったと云われます。
その為、佐和山城落城や島左近にまつわる「清凉寺の七不思議」が伝わるとの事。
参禅道場手前、樹齢500年?島左近が一際面倒を見ていたとされる南天の木、
触ると腹痛を起こすそうです。
近付くのも、恐れ多くて、勿論、触る等とんでも無いけど、不思議のせいかどうか?
単なる夏バテか? このところの不摂生の偶然が重なったのか?
公共交通機関の車内の効き過ぎての、石田家の御子孫男子の方の“三成腹”!?
とにかく、お腹の具合が帰宅後から2日間ばかり大変で・・
もしかして、知らずに失礼したならばとお詫びを兼ねて合掌。
その他にも、左近の怨念や佐和山落城にまつわる不思議が伝わります。
左近の居間を方丈にしたところ、壁に月の形が浮かび、
壁を塗り替えても また浮き出てくる。
左近の屋敷の門を寺の山門にしたところ、大晦日になると
低い唸り声の様な音がする。
左近が茶の湯に使用した井戸に、汚れ物を浸しておくと
一晩で真っ白になる。
井伊家が、佐和山城での戦利品を虫干ししていると、佐和山の方角から
黒雲が沸き、戦利品が風で持ち去られた。
落城の際に生首を洗ったといわれる池には、夕刻になると
水面に血みどろの女性の顔が浮かび上がる。
9つ位の不思議が有るらしいです・・再々 合掌。
龍潭寺
こちらも映画「関ヶ原」ロケ地となった様です。
井伊大老 石田三成菩提寺
とあり、佐和山の民に慕われていたのが伝わってきます
以前、三成公の出身地の 石田 を訪れた際のブログ
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2011-09-19-1
石田三成公銅像所在地 の石碑に魅かれて
左手の東山ハイキングコース入口へ少しだけ足を向けたなら
石田三成公銅像
石田三成群霊供養 が 祀られてありました。 合掌。
撮影した時は知りませんでしたが、白いムクゲの花が、撮らないの?
と、ずっと訴えてくる感じがしたので、 では と 1枚パチリ
パンフにありました、五代藍漢和尚が朝鮮使節より拝領した
龍潭寺白とよばれるムクゲの花だったのですね~
龍潭寺拝観入口より仕切り直し
参道を進みます
彦根藩預かりとなった、小田原城主の大久保忠隣幽居之跡の石碑
鐘楼の手前の、中門脇の壁 瓦が埋め込まれてます。
鉄砲で撃たれても貫通しない為の構造だそうです。
拝観料をお支払いし、彦根も「庭の寺」として有名ですし、
先日出かけました浜松との比較も楽しみです。
方丈南庭(ふだらくの庭)
一面の白砂の上に48箇の石が配されている枯山水の石庭
書院東庭 借景式(鶴亀蓬莱の池)
イイ(井伊)眺めの庭であろう?、なのにもうカエルのかい?
不動のままのトノサマより無言で語りかけられる感じ
書院北庭(露地庭園) 地泉平庭は、井伊直政の建立による
禅僧の専門道場として、多数の造園学僧を輩出し学僧の就業庭園だとか。
元禄年間からは[だるま寺]としても進行を集めているそうで
多くの達磨も祀られています。
彦根指定文化財の森川許六筆の方丈襖絵五十六枚、
三成の遺品なども観られて、有難いです。
井伊神社
龍潭寺から向かうと、佐和山神社参道より移設された
“彦根の夜明け”を開いたとの井伊直憲公顕彰碑がありました。
井伊直弼の兄・直亮が、遠江井伊谷八幡宮より井伊大明神を分霊した
井伊神社には、井伊家の始祖共保公が祀られています。
鳥居には伸びた緑の枝葉が覆い被さってます
権現造の複合社殿は、修復の為に組まれた囲いとネットで覆われています
残念なお姿、先の、竹生島の宝厳寺を思い返します
ネットの間から、垣間見て、かつては鮮やかで素晴らしかったと理解
本日、訪れた井伊家縁の荘厳な寺院と、現状の荒廃ギャップ
井伊神社のしだれ桜
ニッポンタチバナ
木村長門守ゆかりの血染めのすすき
大坂夏の陣では敵方の豊臣方です。井伊家の家臣・安藤重勝に討たれ、
安藤氏の菩提寺であった、宗安寺に埋葬され首塚ができたそうです。
宗安寺は、三成の佐和山城の門が移築してあり、訪れた時合掌致しました。
参拝を済ませ、神社を後にしました。
大洞弁財天 長寿院
此処も、「関ヶ原」ロケ地です。 境内一周しラストでやっと気付いたのですが、
逆順コースの様でしたが、その時は、全く思っておらずにて、
井伊神社より左側の道の方に看板があり、緩やかな坂道を進みます。
この坂道の左手に、ぽつんと経蔵
草むらの中に祠も確認できました。
長寿院は四代藩主直興が厄除けと城を守る備えとして建立した藩寺だそう。
直興が日光東照宮修営の総奉行を務め、造営に当たった大工達を招いて
建築をさせたとの事で、「彦根日光」の別名を持つ寺の所以なのでしょう。
紅梅のきつそうな石段の先に見えてきたのは、 阿弥陀堂
高台の阿弥陀堂より境内を見下ろせば、本堂弁財天堂、宝蔵などが。
本堂弁財天堂
宝蔵
※この他、3~4?祠程確認できましたが、祭神は不明でした。
この入口より裏手にも回ってみる事にしました
奥内宮白蛇殿
奥之院宇賀神
石段の中央朱の手摺の、黒っぽい最前が賽銭入れ・・
足は疲れていましたが・・でも石段を上りました。
ハイキングコース 佐和山城跡かぁ~ 行きたいけど・・無理っ!
宇賀神の石段を下り、重厚な楼門へと
本殿を背に、楼門入口を額縁に見立て、一枚の絵の様に彦根城が!
此処を使って、映画「関ヶ原」の、徳川本陣と三成軍の位置関係対比
楼門を潜って、境内を後にする形となり、石段を下りました
こちらの脇にも、祠を確認
子安地蔵尊へとたどり着きました
丁度、JRの列車が通過し、遅ればせながらいつも車窓から見ていたと気付く
線路を越えて、鳥居へと ・・本来こちらからスタートなのですね・・
帰りは、彦根ご城下巡回バスの時刻をとうに過ぎていて諦め
早めのディナーを目論み、疲労した足取りに鞭打ち、励みとし歩みます。
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何年来JRの車窓から見える度、ずっと気になっていた寺院が、
遠江井伊谷から分寺し、龍潭寺の五世・昊天禅師を招いて建立した
と、やっと知りまして、彦根『龍潭寺』 にて下車しました。
映画「関ヶ原」ロケは、石田三成に縁の近江で多く行われたそうです。
巡回バスの車中にてガイドの方よりの説明のあった、界隈の名所の
彦根の日光と賞された大洞弁才天などの方向も確認をしておきました。
JRの車窓から見える、寺院や鳥居、山中の看板 -佐和山城跡- 等
ずっと気になっていたのが、実際にじっくりと観られ、カメラにも納めます。
長林稲荷大明神
井伊家の江戸上屋敷の守護神だったとか、明治五年に遷座され、
清涼寺の境内にて、当地の智慧辨戝天・白山妙理大権現に合祀
との事の様です。
清涼寺
映画「関ヶ原」ロケ地となった様です。
ガイドの方の解説で、彦根藩主・井伊家の菩提寺との事です。
井伊直政の墓所として直孝が開基
本殿の写真です。 本堂、禅堂、墓所などは非公開だそうです。
目にする事の出来る 生垣も、客殿にも圧倒される位
寺の裏には、かつて佐和山城がそびえ、境内あたりは
三成の重臣、島左近の屋敷があったと云われます。
その為、佐和山城落城や島左近にまつわる「清凉寺の七不思議」が伝わるとの事。
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左近の居間を方丈にしたところ、壁に月の形が浮かび、
壁を塗り替えても また浮き出てくる。
左近の屋敷の門を寺の山門にしたところ、大晦日になると
低い唸り声の様な音がする。
左近が茶の湯に使用した井戸に、汚れ物を浸しておくと
一晩で真っ白になる。
井伊家が、佐和山城での戦利品を虫干ししていると、佐和山の方角から
黒雲が沸き、戦利品が風で持ち去られた。
落城の際に生首を洗ったといわれる池には、夕刻になると
水面に血みどろの女性の顔が浮かび上がる。
9つ位の不思議が有るらしいです・・再々 合掌。
龍潭寺
こちらも映画「関ヶ原」ロケ地となった様です。
井伊大老 石田三成菩提寺
とあり、佐和山の民に慕われていたのが伝わってきます
以前、三成公の出身地の 石田 を訪れた際のブログ
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石田三成公銅像所在地 の石碑に魅かれて
左手の東山ハイキングコース入口へ少しだけ足を向けたなら
石田三成公銅像
石田三成群霊供養 が 祀られてありました。 合掌。
撮影した時は知りませんでしたが、白いムクゲの花が、撮らないの?
と、ずっと訴えてくる感じがしたので、 では と 1枚パチリ
パンフにありました、五代藍漢和尚が朝鮮使節より拝領した
龍潭寺白とよばれるムクゲの花だったのですね~
龍潭寺拝観入口より仕切り直し
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彦根藩預かりとなった、小田原城主の大久保忠隣幽居之跡の石碑
鐘楼の手前の、中門脇の壁 瓦が埋め込まれてます。
鉄砲で撃たれても貫通しない為の構造だそうです。
拝観料をお支払いし、彦根も「庭の寺」として有名ですし、
先日出かけました浜松との比較も楽しみです。
方丈南庭(ふだらくの庭)
一面の白砂の上に48箇の石が配されている枯山水の石庭
書院東庭 借景式(鶴亀蓬莱の池)
イイ(井伊)眺めの庭であろう?、なのにもうカエルのかい?
不動のままのトノサマより無言で語りかけられる感じ
書院北庭(露地庭園) 地泉平庭は、井伊直政の建立による
禅僧の専門道場として、多数の造園学僧を輩出し学僧の就業庭園だとか。
元禄年間からは[だるま寺]としても進行を集めているそうで
多くの達磨も祀られています。
彦根指定文化財の森川許六筆の方丈襖絵五十六枚、
三成の遺品なども観られて、有難いです。
井伊神社
龍潭寺から向かうと、佐和山神社参道より移設された
“彦根の夜明け”を開いたとの井伊直憲公顕彰碑がありました。
井伊直弼の兄・直亮が、遠江井伊谷八幡宮より井伊大明神を分霊した
井伊神社には、井伊家の始祖共保公が祀られています。
鳥居には伸びた緑の枝葉が覆い被さってます
権現造の複合社殿は、修復の為に組まれた囲いとネットで覆われています
残念なお姿、先の、竹生島の宝厳寺を思い返します
ネットの間から、垣間見て、かつては鮮やかで素晴らしかったと理解
本日、訪れた井伊家縁の荘厳な寺院と、現状の荒廃ギャップ
井伊神社のしだれ桜
ニッポンタチバナ
木村長門守ゆかりの血染めのすすき
大坂夏の陣では敵方の豊臣方です。井伊家の家臣・安藤重勝に討たれ、
安藤氏の菩提寺であった、宗安寺に埋葬され首塚ができたそうです。
宗安寺は、三成の佐和山城の門が移築してあり、訪れた時合掌致しました。
参拝を済ませ、神社を後にしました。
大洞弁財天 長寿院
此処も、「関ヶ原」ロケ地です。 境内一周しラストでやっと気付いたのですが、
逆順コースの様でしたが、その時は、全く思っておらずにて、
井伊神社より左側の道の方に看板があり、緩やかな坂道を進みます。
この坂道の左手に、ぽつんと経蔵
草むらの中に祠も確認できました。
長寿院は四代藩主直興が厄除けと城を守る備えとして建立した藩寺だそう。
直興が日光東照宮修営の総奉行を務め、造営に当たった大工達を招いて
建築をさせたとの事で、「彦根日光」の別名を持つ寺の所以なのでしょう。
紅梅のきつそうな石段の先に見えてきたのは、 阿弥陀堂
高台の阿弥陀堂より境内を見下ろせば、本堂弁財天堂、宝蔵などが。
本堂弁財天堂
宝蔵
※この他、3~4?祠程確認できましたが、祭神は不明でした。
この入口より裏手にも回ってみる事にしました
奥内宮白蛇殿
奥之院宇賀神
石段の中央朱の手摺の、黒っぽい最前が賽銭入れ・・
足は疲れていましたが・・でも石段を上りました。
ハイキングコース 佐和山城跡かぁ~ 行きたいけど・・無理っ!
宇賀神の石段を下り、重厚な楼門へと
本殿を背に、楼門入口を額縁に見立て、一枚の絵の様に彦根城が!
此処を使って、映画「関ヶ原」の、徳川本陣と三成軍の位置関係対比
楼門を潜って、境内を後にする形となり、石段を下りました
こちらの脇にも、祠を確認
子安地蔵尊へとたどり着きました
丁度、JRの列車が通過し、遅ればせながらいつも車窓から見ていたと気付く
線路を越えて、鳥居へと ・・本来こちらからスタートなのですね・・
帰りは、彦根ご城下巡回バスの時刻をとうに過ぎていて諦め
早めのディナーを目論み、疲労した足取りに鞭打ち、励みとし歩みます。
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指ではじくだけで肩の痛みが治る!―江戸の秘術から生まれた凄ワザ
- 作者: 福冨 章
- 出版社/メーカー: 自由国民社
- 発売日: 2015/12/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)