梅林公園に ひっそり竜興庵 [地域情報]
岐阜梅林公園へ向かう途中に、瑞龍寺さんがあります。
瑞龍寺の裏手の山には土岐成頼と斎藤妙椿のお墓が並んでいます。
例年は、梅祭りの二日間は一般に本堂が開放されて拝観することができます。
2020年3月14・15日の【ぎふ梅まつり】は、残念ながら開催中止です。
本年は、開花も早かったので、梅まつり迄、遅咲きが残ってくれるのか?と
懸念をしておりました。 園は開放されていますので梅の花は観られます。
斎藤妙椿は美濃守護代を務めていましたが、実際には甥の利藤が守護代で、
自身は後見人となっていた様です。
官位は従三位権大僧都と、主君である土岐成頼以上の官位だったのが示す様に、
大きな権力を持っていました。
その死後に守護代斎藤氏は家督争い等から衰退し、京都妙覚寺の僧から転身した
長井新左衛門尉とその息子である長井新九郎-のちの斎藤山城守利政に、
実権を奪われてしまいます。
それが、2020年のNHK大河ドラマ【麒麟がくる】で、丁度、オンエアが
されている状況な訳です。
その道三も息子である斎藤義龍に討たれ、道三塚に眠ります。
その義龍も、若くして病死します。そこで家督を継いだのが斎藤龍興。
その後の、竜興の人生の大半は、信長の反抗に費やされました。
織田信長が今川義元を破った勢いのまま、美濃に進出。
有力家臣の死亡や離反により勢いが削がれ、酒食に溺れる。
そんな折、竹中半兵衛と重矩や安藤守成に稻葉山城を奪取。
その時は、主君龍興に返還されるも、斎藤氏は衰退の一途を辿り、
西美濃三人衆の内応を取りつけたのを機に、稻葉山城を攻撃する。
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2014-02-22
落城後、信長がこの地を岐阜と改め、金華山に岐阜城を造営する。
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2014-02-23
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2014-04-01
岐阜の町は勿論、京をも見渡せるかの錯覚を起こす 眺めが広がる。
そうなっても、竜興は、相変わらず、長島一向一揆と協力して信長に抵抗する。
三好三人衆と結託し、信長が擁立した 室町幕府第15代将軍・足利義昭
を攻め殺そうとしたが、敗退。その後も、三好三人衆の籠城を支援。
後に、縁戚関係にあった事から越前国の朝倉義景の下へ逃れて保護された。
朝倉氏や越前・美濃の門徒の支援を受けた龍興が北から、
長島の門徒の支援を受けた日根野が南から、美濃に入国・挟撃する計画がなされ、
実際に作戦が実行されたが、朝倉軍が雪のせいで 全軍を越前に引き上げ、
龍興も美濃国復帰までには至らず。
天正元年(1573年)8月、義景が浅井長政を支援し、信長と対決する為に
近江国北部に出陣した際に龍興も従軍したが、8月14日、朝倉軍が
織田軍に敗れ刀禰坂で追撃を受けた際、戦死した。
法名は瑞雲庵竜興居士とされるが、
『常在寺記録』には瑞光院竜淵宗雲日珠大居士と号したとあります。
その斎藤龍興が道三と義龍の菩提を弔うために創建したのがこのお寺、
美濃新四国霊場第十五番札所大雲山龍興寺です。
石碑の方には龍興庵と刻んで有りますね。
元々は、この地の南の加納にあったものを移築したといます。
日頃から大切にしていた知恵観音を本尊とし、龍興庵と号したが、
龍興の死後、寺は衰えてしまったので、瑞龍寺の綾州和尚が残念に思い、
明治14(1881)年に、こちらへ移築したものだそうです。
階段の中腹にはお地蔵様二体と馬頭観音。
裏の山肌には、烏帽子岩と琵琶石
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2013-04-08
梅林公園
2020年—全体に梅の花の咲く時期は、例年より早かった模様。
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2016-02-22
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拙著と拙著の紹介の記事や掲載されたもの等です↓
『指ではじくだけで肩の痛みが治る!―江戸の秘術から生まれた凄ワザ』自由国民社刊
2019年11月2日発売の健康情報誌[夢21・12月号]わかさ出版-の
特集「手・肩・首のしびれ・痛み・違和感、肩こり・頚椎症のセルフケア」、
-バネ指や腱鞘炎の痛みや違和感が改善する「腱はじき」の記事が掲載されました
https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2019-10-29 [夢21・2019年 12月号]
『痛みもコリも一瞬でとれる筋ツイスト』秀和システム刊
月刊からだにいいこと 2019年 5月号 [ゴロゴロ筋ツイスト] が掲載されました。
拙著の骨盤と肋骨の筋ツイストが基になっています。
https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2019-02-07 [からだにいいこと 2019 5月号]
自然といっしょにvol.139 2018年10月号 [セルフ筋ツイスト]が掲載されました
https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2018-09-20 [自然といっしょに 2018年10月号vol.139]
2019年6月27日刊行 『岐阜市の昭和』(写真アルバム) ご覧下さいませ
[岐阜市の昭和]に6枚提供の写真が掲載されました
https://ma35-main.blog.ss-blog.jp/2019-06-15
https://ma35-main.blog.ss-blog.jp/2019-06-25
瑞龍寺の裏手の山には土岐成頼と斎藤妙椿のお墓が並んでいます。
例年は、梅祭りの二日間は一般に本堂が開放されて拝観することができます。
2020年3月14・15日の【ぎふ梅まつり】は、残念ながら開催中止です。
本年は、開花も早かったので、梅まつり迄、遅咲きが残ってくれるのか?と
懸念をしておりました。 園は開放されていますので梅の花は観られます。
斎藤妙椿は美濃守護代を務めていましたが、実際には甥の利藤が守護代で、
自身は後見人となっていた様です。
官位は従三位権大僧都と、主君である土岐成頼以上の官位だったのが示す様に、
大きな権力を持っていました。
その死後に守護代斎藤氏は家督争い等から衰退し、京都妙覚寺の僧から転身した
長井新左衛門尉とその息子である長井新九郎-のちの斎藤山城守利政に、
実権を奪われてしまいます。
それが、2020年のNHK大河ドラマ【麒麟がくる】で、丁度、オンエアが
されている状況な訳です。
その道三も息子である斎藤義龍に討たれ、道三塚に眠ります。
その義龍も、若くして病死します。そこで家督を継いだのが斎藤龍興。
その後の、竜興の人生の大半は、信長の反抗に費やされました。
織田信長が今川義元を破った勢いのまま、美濃に進出。
有力家臣の死亡や離反により勢いが削がれ、酒食に溺れる。
そんな折、竹中半兵衛と重矩や安藤守成に稻葉山城を奪取。
その時は、主君龍興に返還されるも、斎藤氏は衰退の一途を辿り、
西美濃三人衆の内応を取りつけたのを機に、稻葉山城を攻撃する。
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2014-02-22
落城後、信長がこの地を岐阜と改め、金華山に岐阜城を造営する。
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2014-02-23
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2014-04-01
岐阜の町は勿論、京をも見渡せるかの錯覚を起こす 眺めが広がる。
そうなっても、竜興は、相変わらず、長島一向一揆と協力して信長に抵抗する。
三好三人衆と結託し、信長が擁立した 室町幕府第15代将軍・足利義昭
を攻め殺そうとしたが、敗退。その後も、三好三人衆の籠城を支援。
後に、縁戚関係にあった事から越前国の朝倉義景の下へ逃れて保護された。
朝倉氏や越前・美濃の門徒の支援を受けた龍興が北から、
長島の門徒の支援を受けた日根野が南から、美濃に入国・挟撃する計画がなされ、
実際に作戦が実行されたが、朝倉軍が雪のせいで 全軍を越前に引き上げ、
龍興も美濃国復帰までには至らず。
天正元年(1573年)8月、義景が浅井長政を支援し、信長と対決する為に
近江国北部に出陣した際に龍興も従軍したが、8月14日、朝倉軍が
織田軍に敗れ刀禰坂で追撃を受けた際、戦死した。
法名は瑞雲庵竜興居士とされるが、
『常在寺記録』には瑞光院竜淵宗雲日珠大居士と号したとあります。
その斎藤龍興が道三と義龍の菩提を弔うために創建したのがこのお寺、
美濃新四国霊場第十五番札所大雲山龍興寺です。
石碑の方には龍興庵と刻んで有りますね。
元々は、この地の南の加納にあったものを移築したといます。
日頃から大切にしていた知恵観音を本尊とし、龍興庵と号したが、
龍興の死後、寺は衰えてしまったので、瑞龍寺の綾州和尚が残念に思い、
明治14(1881)年に、こちらへ移築したものだそうです。
階段の中腹にはお地蔵様二体と馬頭観音。
裏の山肌には、烏帽子岩と琵琶石
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2013-04-08
梅林公園
2020年—全体に梅の花の咲く時期は、例年より早かった模様。
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『指ではじくだけで肩の痛みが治る!―江戸の秘術から生まれた凄ワザ』自由国民社刊
2019年11月2日発売の健康情報誌[夢21・12月号]わかさ出版-の
特集「手・肩・首のしびれ・痛み・違和感、肩こり・頚椎症のセルフケア」、
-バネ指や腱鞘炎の痛みや違和感が改善する「腱はじき」の記事が掲載されました
https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2019-10-29 [夢21・2019年 12月号]
『痛みもコリも一瞬でとれる筋ツイスト』秀和システム刊
月刊からだにいいこと 2019年 5月号 [ゴロゴロ筋ツイスト] が掲載されました。
拙著の骨盤と肋骨の筋ツイストが基になっています。
https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2019-02-07 [からだにいいこと 2019 5月号]
自然といっしょにvol.139 2018年10月号 [セルフ筋ツイスト]が掲載されました
https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2018-09-20 [自然といっしょに 2018年10月号vol.139]
2019年6月27日刊行 『岐阜市の昭和』(写真アルバム) ご覧下さいませ
[岐阜市の昭和]に6枚提供の写真が掲載されました
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