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伊賀八幡宮参拝―蓮の開花は3度目の正直で? [戦国・パワースポット]

徳川家を、天下人にならしめた、武運・勝運・開運の神様
伊賀八幡宮の起源は、松平四代・親忠公が松平家(徳川家の祖)の守護神、
氏の神として 八幡神を 祀られたことに端を発します。
その後、徳川三代将軍・家光公が、 祖父・家康公を祀ることとされ、
現在は八幡神、東照大権現をお祀りする社となっております。

徳川家康が、大きな合戦の際には必ず参詣したとの
開運の勝ち神様として崇敬を集めています
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伊賀八幡宮を参拝しました。 

朱い大鳥居 を 潜り 白い整備された参道を進みます 
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二の鳥居 ? んっ何か有る…アマビエ…コロナ禍の整備と物語ってます。

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参道へ、奥に見える神橋が美しいフォルム

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最初のお参りのご縁を頂いた、10年前当時、神橋は改築中でした。
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2013-08-04

NHK大河ドラマ [どうする家康] 令和5年オンエア にて、
先ずは、開始前にと、令和4年に勇んで2度目の参拝をしました。
当然、神橋は 完成しておりました…

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P6051494.JPG
20-太鼓橋P7026879-PXL_20230702_020400912.jpg

境内門から
境内門1-P6051522.JPG


愛知県では伊賀八幡宮だけ との 
神域の守り神、随神様が門の両側に配置された随神門。

境内髄神門P6051535.JPG

門の表と裏両方の左右に天邪鬼が門の屋根を支えています。

境内髄神門屋根守り邪気P6051540.JPG
境内髄神門屋根守り邪気P6051545.JPG

拝殿にて参拝いたしました。 随所に葵の御紋が散りばめられています。

境内拝殿P6051553.JPG

境内拝殿P6051533.JPG

東照大権現さま にもご挨拶
東照大権現御神像P6051566.JPG81-御朱印P7026896.JPG

茅の輪くぐり も できました。

56-茅の輪くぐりの指南P7026940-P7026911.JPG
57-茅の輪くぐり1-P7026940-P7026925.JPG

う~ん!? 先週に見頃って、期待したのに…もう散ったの…?
到着したのが11時少し前というのも条件が良くなかった?
前日までの、大雨からの一転、暑過ぎる位で、蓮 もお疲れ? 

いえいえ、気を取り直し、一周回り、こちらの蓮沼に生息
葉や花の上を飛ぶ虫を捕獲しようとする、幾羽もの親燕が
飛び交っておりますが…映り込みも無い程のスピード…
御縁の有った、映えそうなのを撮影

185-蓮多P7026837.JPG

177-蓮花P7026878.JPG

11-境内の蓮P7026810.JPG
髄神門内側からでも綺麗さが伝わってきたピンクの蓮
50-髄神門からの蓮P7026931.JPG

175-蓮花P7026875.JPG
間近だと さらに 神々しい[ぴかぴか(新しい)]
125-蓮花P7026857-PXL_20230702_021036298.jpg
3度目の正直で、映える蓮の花に出会えて 満足

帰宅後に、見頃情報が、この翌週に書き換わっておりました。

※ 異常気象の影響なのか? 他の 蓮の名所 と言われる所も 例年よりも 花が少ないとの事 を 後日 知りました 



伊賀八幡宮のほど近い場所に、
岡崎市民のソウルフードとして、幾度もTVで紹介されていた 
もろこしうどん の 大正庵さんがあります

伊賀橋P4092254.JPG
過去2度程、前を通りかかったタイミングが合わなかったのですが

https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2023-04-08

こちらも3度目の正直で、今年4月に、もろこしうどん を 頂けました。

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8-P4092259.JPG

熱々の卵とじの、名古屋出汁ベースの醤油餡 に 
トウモロコシがたっぷり
P4092279.JPG
もろこしうどんP4092283.JPG

今回は、暑いので   天ざるうどん 梅  を頂きました。
冷たい麺だと、エッジはないけれど、モチッと食感は喉越しが良い
と、2度目にして 麺が主張しているのが解りました。

付け汁は、暑さ負けしない様に、飲み干しました。

天ざるうどん 梅P7026959.JPG

第30回 2007年(平成19年)「24時間テレビ」チャリティーランナー
人生が変わる瞬間(とき)に、マラソンランナーの萩本欽一さんが
麺つゆ を スペシャルドリンク にして、時間外になりましたが
走行距離:70㎞を完走されました のが 記憶に残っています。

お陰で、暑過ぎて、スマホもバテそうになる中、散策できました。







https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2023-06-12
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2023-05-15
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2023-04-08
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2023-02-16
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2023-01-23
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2023-01-09


https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2015-12-08
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2011-09-04
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2011-08-26  
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2011-08-18
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2011-08-15  




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当院では、安土桃山の打鍼術、江戸の按摩術も施術で行っています
拙著拙著の紹介の記事掲載されたもの等です↓




『指ではじくだけで肩の痛みが治る!―江戸の秘術から生まれた凄ワザ』自由国民社刊


『指ではじくだけで肩の痛みが治る!』 表紙帯つき - コピー.jpg





2020年5月1日発売(株)わかさ出版 わかさ夢MOOK
 

『夢21』特別編集149号「ヘバーデン結節」バネ指・腱鞘炎・母指関節症など


―最新・最強 手指の痛み・しびれ 自力克服 大全


https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2020-04-29



2019年11月2日発売の健康情報誌[夢21・12月号]わかさ出版-の


特集「手・肩・首のしびれ・痛み・違和感、肩こり・頚椎症のセルフケア」、


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https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2019-10-29 [夢21・2019年 12月号]






わかさ夢ムックP4290007.JPG








『痛みもコリも一瞬でとれる筋ツイスト』秀和システム刊 
kaminuma.jpg






月刊からだにいいこと 2019年 5月号 [ゴロゴロ筋ツイスト] が掲載されました。


拙著の骨盤と肋骨の筋ツイストが基になっています。


https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2019-02-07 [からだにいいこと 2019 5月号]



自然といっしょにvol.139 2018年10月号 [セルフ筋ツイスト]が掲載されました



https://ma-35.blog.ss-blog.jp/2018-09-20 [自然といっしょに 2018年10月号vol.139]


筋ツイスト-からこと自然DSC_0632.JPG




岐阜市の昭和表紙DSC_0444.JPG


2019年6月27日刊行 『岐阜市の昭和』(写真アルバム) ご覧下さいませ


[岐阜市の昭和]に6枚提供の写真が掲載されました 

https://ma35-main.blog.ss-blog.jp/2019-06-15

https://ma35-main.blog.ss-blog.jp/2019-06-25







































共通テーマ:旅行

井伊直虎ゆかりの井伊谷エリアの散策―その3 妙雲寺と渭伊神社天白磐座遺跡、龍潭寺 [戦国・パワースポット]

https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2017-05-19 その1

https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2017-06-06 その2

竜ヶ岩洞から浜松行きに乗り、北神で降りて、井伊谷を散策します。
後回しにした 妙雲寺 渭伊神社 天白磐座遺跡 に向かいます。

鳥居がありました。 ここを潜れば 直ぐ
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色とりどりの綺麗な紫陽花が見えました。妙雲寺さんの御庭でした。
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妙雲寺は、ドラマを機に、直虎の位牌や、龍潭寺の南渓和尚の肖像画
が見つかり、注目を浴びているスポットです。

この日の様に、土日は見学ができ、説明をして貰えます。
なんでも、南渓和尚の肖像画は、顔が左を向いているもので、
左向きは生前に書かれたということで、貴重な物で説明に
熱が入っておられるのも 頷けます。

 
P6040330.JPG
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説明によれば、徳川勢に井伊谷が攻められた時、但馬守が落延びて
隠れていたのが、先に行った竜ヶ岩洞の洞窟だそうです。

結局 見つかって処刑されてしまいますが・・・との事

当時の、戦の際の百姓達も家財を敷地の穴に隠すと、竜ヶ岩洞に
避難して、やり過ごしていたそうです。

この説明を聞いてから、竜ヶ岩洞に行ったら、感慨も違ったものとなったかも?

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渭伊神社
井伊氏の氏神であり、井戸を信仰の対象とした神社です。
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御神木です
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そして、渭伊神社の裏には、ドラマでも見た 凄い光景が見られます。
大河ドラマ館のシアターにて、ロケ地やロケの様子が映し出される
幼少期の 直虎(おとわ)が隠れた、大きな岩がある天白磐座遺跡など、
この映像を見て、行ってみたいとの思いに駆り立てられました。

3-P6040345.JPG

天白磐座遺跡と謂われる 古代の祭祀が行われている場所です。
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20個余りの巨石が丘の上に点在し、神聖な空気が漂っています。

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大河ドラマ以来、賽の河原!?化? した様な、小石積みが目立つそうです。
崩していいものか? と迷っているうちに、幾つも積まれていたとか。


予定していたスポットから井伊谷宮を越え龍潭寺のバス停まで
徒歩で戻ってきました。

龍潭寺界隈は、以前訪れた時より、ドラマであまりにも有名になり
直虎関連の看板が増えてますね
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前回訪れた時は、町内旅行にて 観る時間がありませんでしたが、
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今回は、初代共保の誕生伝説が残る井戸を見学しました。
古くは「井の国」とよばれ、清らかな水が豊かに湧き出る所との事です。

龍潭寺境内から少し離れた、寺の南に井戸があるとの表記。
苗の植えられたばかりの田んぼの中にありました。
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14-P6040430.JPG
共保は、この井戸の水で産湯を使い、井の国に因んで姓を井伊とし、
井桁を旗印にしたといわれます。

19-P6040432.JPG

見どころの案内をされているガイドの方のお話しでは、
大河ドラマ以降、この井戸は、トレビの泉 化!? という感じで
井戸にお金が投げ込まれているそうで、本当に底に沈んでました。


最後のお楽しみにとっておいた龍潭寺に立ち寄りました
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2年前に、龍潭寺さんには御縁有りました。 
出版社のオファーを頂く前の願掛けで、今回は、お礼参りも兼ねました。
拙著のタイトルにも江戸を使用いて、江戸の時代に活躍された井伊家
と、無理矢理ながら 僅かな、御縁有り と勝手に想いを馳せて、合掌。

P6040455.JPG
井伊家の菩提寺で、ドラマで活躍する南渓和尚はこの寺の第2世住職です。
P6040462.JPG
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国の名勝に指定されている庭園は、サツキの花が彩を添え
華やかな表情を見せていました。

大河ドラマの以前に訪れた際のブログ
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2015-09-04

お参りを済ませ、小腹を満たそうと、駐車場入口の、
いいのやさんにて、出世だんご を買って食べ、
気賀駅へ向かうべく、バスに乗りました。
いいのや3-P6040475.JPG


気賀駅に戻ってきました。 
気賀駅舎は、中華屋さんで、到着し改札を出た時も、この時間も、
客のバイクや車で駐車スペースは満車でした。
5-P6040076.JPG
天竜浜名湖鉄道の方は、特設のテントを終って帰られたらしく、
無人駅に戻っていて、直接、御礼を申し上げられませんでした。

有難うございました<(_ _)>  良い旅の1日でした♪


乗換えの際、行きはゆとり無く気付かなかったのですが、
新所原駅舎は、うなぎ屋さんになっており、良い匂いに又食べたくなりました(*^_^*)

天竜浜名湖鉄道の路線の駅舎の味めぐりも いい! かもね!(^^)!









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井伊直虎ゆかりの井伊谷エリアの散策-その2 井伊谷宮から竜ヶ岩洞へ [戦国・パワースポット]

https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2017-05-19 その1

龍潭寺に着き、下車。 龍潭寺は最後のお楽しみにと。

効率良く巡るのに、先ずは、徒歩にて、井伊谷宮を目指します。
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旬なのでね、道中傍らには枇杷の無人販売所がありました。
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看板などが、視界に飛び込んできたと思ったら、井伊谷宮の参道前も 
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幟旗には、いい!直虎。 きらっと市場。野菜などを販売されているみたい。 

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井の国 井戸は外せませんね
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井伊谷宮の ご祭神は宗良親王 
幼少の頃より和歌に秀で、終生和歌の道の聖と仰がれました。
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李歌集の宗良親王の御歌、和歌と解説が参道に数点紹介されてます。
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和歌に秀でておられたことから「学徳成就・合格」の神様として崇められ、
また 73歳と、当時としては大変御長命であったため
「長寿・除災開運」の守護神として信仰されています。


摂社は井伊社
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御神木と神籤、奥には資料館と記されたこじんまりした建物
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別に、絵馬資料館前には、直虎絵馬あります との事
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銘石 慈母観音石 は 一目でその雰囲気を感じます
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ゆったり、参拝させて頂き、次の目的地へと向います。



渭伊神社の天白磐座遺跡と妙雲寺を目指して、歩みを進めていると

【いいね!直虎1Dayパス】のパンフレットを手にした時から気になっていた
竜ヶ岩洞が、途中の神宮寺のバス停の行先にあり、しかも10分後に
バスがあると解って、急遽 行き先を変更。

暑い日差しの中、ベンチで腰掛けて、運行システムを理解できず(・・?、
辛抱強く40分以上待つ羽目に、到着時刻遅れのバスに乗って )^o^(
やっと一息です。

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竜ヶ岩洞入口の停留所で下車し、竜ヶ岩洞の看板方向へと進みました。

道中脇の、穴!?  何だか 気になりました・・
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段々、近付いていく 手前には 水車小屋?
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P6040188.JPG

神社もありました
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見えてきました。
ようきた洞  足湯の様です。  
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売店もあります。

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目的の鍾乳洞へ一目散。 少し先に居た方が入口に入った途端、ゲートの
横の単なるオブジェかと思っていた龍の目玉が光り、明けた口から白煙!?
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自分の気付かないところでの仕掛けに、気付けて良かった。

柴咲コウさんも来られたとか・・ 蝙蝠になって-コウ盛-と化されたのかな?
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外見は小高い丘という感じだですが、中に入ると凄い!
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18度の気温は、冷んやりとして心地よく、穴の奥には2億5千万年かけて
作られた 神秘の世界が広がっています。
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黄金の石柱、十六羅漢、コウモリの間、俊吾池、喜びの窓、大広間、
マリア観音(この一年間は次郎法師とあり)と、
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次々と鍾乳石の造形が現れます。

そして、最大の見どころが、ついに姿を見せます。
飛沫をあげて落下する「黄金の大滝」は、地底の大滝としては最大級とか。
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その迫力は、思わず息を吞む程です。 足元や後続の方への要配慮です。

神の間、竜の腹、鳳凰の間と続き、黄金の富士を見て出口となります。
出っ腹の私が閊えそうな狭い隙間もあり、ちょっとした冒険探検気分が
味わえました。 とっても、いい! とラッキー?
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徳川勢に井伊谷が攻められた時、但馬守が落ち延びて隠れていたのも
この辺りの洞窟だそうですが、この後の 妙雲寺さんのガイドの方より
お聞きしたので、この時点では、その様な(p_-)想いに浸る事無く終えました。
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到着した時から、今年のNHK大河ドラマのオープニングで観ている、
兜に椿の花のオブジェが気になりました。
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小河ドラマ館 との ダジャレ?的看板。 作品を造られたと思しき方が
みかんの皮で作ったんだよ! と 話しかけてこられました。
ハイ どれも、繊細緻密な素晴らしい作品ばかりでした ↓
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-------次回に、続きます---------










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井伊直虎ゆかりの井伊谷エリアの散策-その1 気賀のまち [戦国・パワースポット]

2017年NHK大河ドラマ【おんな城主 直虎】の舞台の地を訪れました。

JR路線でのアクシデントによるダイヤの乱れを、出発直前に知り、
躊躇しましたが、晴天を逃すべくかと、急遽、移動手段を名鉄さんへ変更。
JR乗り継ぎの通常時間も影響を受け、遅れの時間が読めません・・

当初、新快速浜松行きで新所原駅まで行き、新所原の窓口で、
【いいね!直虎1Dayパス】¥2300を購入
P6040088.JPG
の予定でしたが、乗り継ぎの時間すら危ぶまれる状態。
一旦、窓口の列に並ぶも、前の人が諦めたのに続き、駅員さんの
言葉に従い、整理券だけをとって電車の中に飛び込みました。

ドラマの進行と被る期間でしたが、この日のアクシデントの影響なのか?
気賀駅を目指されている方は私共含め4組位の様でした。

電車は一両のみ。 浜名湖の北岸を のんびりカタコト と走ります。
車窓に広がる浜名湖の景色、無人の駅舎が丸ごと喫茶店になっている
珍しい風景を眺めながらの40分。 ハラハラの出発の疲れも一服です。

大河ドラマに因む【おんな城主直虎 大河ドラマ館】の最寄り駅
気賀駅に到着します。
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気賀駅の建物は、昭和13年に建てられたレトロな建物と、
当時のままの改札口やプラットホームがお出迎え。
12-P6040173.JPG
3-P6040488.JPG

気賀駅では、【いいね!直虎1Dayパス】を取り扱っておられないとの事で
焦りましたが、天竜浜名湖鉄道の営業課の方の機転の御計らいにて、
次便で届けて下さる事となり、前倒しで【おんな城主直虎 大河ドラマ館】
まで、ご案内下さり、入館をお願いして頂けました。
快く御許可して下さり、双方のスタッフ様の御親切に感謝致します。
大河ドラマ館P6040007.JPG

ドラマ館の、井伊家の家紋・旗印に因む、セットの橘の木・井戸に施された
素敵な仕掛けの映像のセットに、子供さん達に混じって(^^♪ はしゃいでました。
ビデオにて前日に観た、銭入れや、これまでの名場面の衣装にも心踊りました。

堪能して、館を後にしたものの、未だ時間が有るとの事で、気賀御関所へと
向かいます。 目にした、バスやタクシー等も、艶やか直虎ラッピング・・!!
縁の地巡りバスP6040017.JPG

気賀に関所が置かれたのは、関ケ原の戦い の後の事で、
徳川家康により作られました。

気賀は、浜名湖を渡る東海道は、女人にとって厳しいため、
姫街道と呼ばれる脇街道の宿場町でした。
しかし、それは、直虎の没後5年経っての事。
7-P6040491.JPG

大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」では浜名湖に面する港町として登場します。
浜名湖の北側に位置し、井伊谷川も流れ込む場所で、浜名湖は海に開けるため、
船での物流も盛んだったようです。

ドラマでは、ムロツヨシさん演じる商人方久が、
「これからは気賀の時代ですぞ!」 と言ったセリフが印象的でしたね。
気賀は、今川治領でありながら、商人たちが独自のルールを作り
暮らしている町 という点が新しかったのです。


P6040027.JPG

P6040029.JPG

P6040019.JPG
綺麗に刈り込まれたサツキが満開で華やかでした
P6040022.JPG

関所内の 遠見番所に上って、見下ろしても綺麗でした。
P6040050-P6040060遠見番所.JPG
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一回りして、気賀駅へ3度目にして、先程の、ドラマ館での交渉など
御足労とお手数をおかけしてしまった、天竜浜名湖鉄道の営業課の方
の温かい御配慮の御蔭にて、パスを購入できました。
お世話になりました事、申し訳なく、御心遣いに感謝致します <(_ _)>
P6040086.JPG


直ぐに、龍潭寺を目指そうとしましたが、先に、腹ごしらえをと思い立ち、
気賀駅構内の、【うなぎの街】パンフレットにて、24軒の紹介があるうち
8 東(関東風=蒸しの行程からの焼き) が近くと知り 探す事に
7-P6040084.JPG

清水屋さんの裏口の様でした 
4-P6040081.JPG
5-P6040080.JPG
タイミング良く注文し、席にて待つ事ができました。

P6040097.JPG
馴染んでいる、関西風の皮パリッの食感と別物の、フワッとした口解け
でしたが、タレの塩梅が、好みのお味で、美味しい!! 幸せぇ~


休日で観光客が次々と来店されるも、うなぎの焼き30分位掛る待ち時間に、
諦められる様子も店内の席で見ていて、商売って大変だと思いました。 
2-P6040098.JPG
店を出て、入口側のごった返しを観て再認識。


P6040100.JPG

程なく、史蹟気賀関跡 を見つけました。
先ほど、ドラマ館の横にあったのは、資料を基に復元された新しい気賀の関所で、
元々は、気賀四ツ角といわれる辺りに関所や旅籠、陣屋、商家などの街並みが
あった様です。

2-史蹟気賀関跡P6040102.JPG
細い路地へと
4-史蹟気賀関跡P6040104.JPG
失礼ながら、詳しい訳でないので、一瞬で終わる感覚程度??
5-史蹟気賀関跡P6040105.JPG
6-史蹟気賀関跡P6040106.JPG
先に 訪れた 新しい関所との比較の 想いに グッ!?ときた・・?

戻って先程の、気賀駅のバス停より、
【いいね!直虎1Dayパス】を利用し、龍潭寺を目指し乗車します。

本当に、天竜浜名湖鉄道の営業課の方がお世話して下さった御蔭です
この後も、良い旅となりそうな予感です


-------次回に、続きます---------










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真田幸村雌伏の地 九度山を訪ねる [戦国・パワースポット]

NHK大河ドラマ【真田丸】で人気を博している真田信繁 こと幸村と父昌幸は、
関ヶ原の戦いで石田方に付き、信濃上田城で徳川秀忠の大軍を足止めさせ、
関ヶ原の本戦に間に合わさせなかったという軍功をあげました。

しかし本戦でお味方が家康方に敗れた為、高野山に送られ蟄居させられました。
本来は死罪となるところを、徳川方についた兄の信之とその義父本田忠勝の
嘆願で命が助かったのです。

高野山は女人禁制。 妻子との暮らしを許された真田幸村は、
正室や側室を伴って、高野山のふもと九度山に移りました。
この地で、真田昌幸は没するまでの11年、幸村は14年もの間、
雌伏の時を過ごしたのです。

九度山には、真田父子が結んだ庵跡に建てられた善名称院(ぜんみょうしょういん)
や真田の抜け穴伝説が伝わる真田古墳があり、
大河ドラマ【真田丸】を記念して真田ミュージアムも建てられています。

真田ミュージアム134.JPG

真田ミュージアム144.JPG


九度山には、大阪難波駅で南海電車の割引切符と大河ドラマ館の入場券が
セットされた『真田・九度山きっぷ』を購入し、南海高野線で先ず橋本駅に向かいます。
南海電鉄真田九度山きっぷ212.JPG

この切符の特典として、真田ミュージアム入場の際、こんなクリアファイルがもらえます。
オシャレなうえに、入場、入館時のパンフを挟めて 重宝します。
真田ミュージアム401.JPG

和歌山方面は晴れとの予報に反して、河内長野を過ぎて緑が増えてきた頃、
激しい雨が・・・
橋本で、赤備えの外観、座席に六文銭をあしらった極楽橋行きの電車に乗り換えた
頃から天気も回復。
南海真田赤備電車089-095.JPG

なんと、座席のシートも六文銭。 優先席は緑地にハートが6個。

南海真田赤備電車091.JPG

九度山駅も、真田一色。

南海九度山駅101.JPG

南海九度山駅構内385.JPG

駅を出て、歩道橋を渡ると「真田のみち」と名付けられた商店街があり、
真田十勇士の描かれた電柱が並びます。

真田のみち109.JPG

真田のみち商店街113.JPG

2016年3月13日にオープンした【真田ミュージアム】。
真田ミュージアム007-133.JPG

エントランスでは、昌幸・幸村・大助の真田三代が甲冑姿で
出迎えてくれます。 つわものの証、赤備えの甲冑が素敵です。
真田ミュージアム016-145.JPG

真田ミュージアム014.JPG

上田時代の真田の活躍に続き、九度山時代の雌伏の日々を紹介した
映像と、大阪の陣の活躍を夏の陣図屏風や解説動画にて、
興味深く観る事ができました。

一方、実際の九度山の苦しい生活やその時の為の秘めた思いを
感じさせる真田の庵も再現されています。

江戸時代に、ヒーローとして称賛され、秀頼を抱えて九州に逃れた等の説や、
十勇士の伝説なども紹介されています。

最後は、企画展示室にて2017年2月28日(火)まで開催されている大河ドラマ展、
真田丸のタイトルや衣装、小道具の展示、特に 出演者のコメントやサインには、
役者さんの個性が現れていて面白かったです。

真田ミュージアム011-143.JPG

真田ミュージアム012-140.JPG

真田ミュージアム013.JPG

九度山には、高野山から移り大坂の陣に赴くまで、真田父子が暮らした庵の跡に、
善名称院というお寺が建てられています。

真田庵善名称院016-195.JPG
真田庵善名称院020.JPG

大坂の陣の後は、徳川秀忠の残党刈りで昌幸の墓と真田の松だけが
残っていたそうです。

真田庵善名称院187.JPG


幸村の旗印である六文銭が門扉にも刻まれています。

真田庵善名称院018-148.JPG

九度山には、昌幸だけでも16名の家臣とその妻子、側室や女中なども伴ったと云われ、
かなりの人数が一緒に暮らせる屋敷を建てられる場所として この場所が
選ばれたと思われます。
真田庵善名称院021-151.JPG

真田屋敷には、大台所の周りに、家来や小者、次女の部屋があり、
その東側に広い板敷の間を隔てた4間に幸村と妻子が暮らし、
さらに東へ廊下を隔てた九畳敷きの二間に、昌幸が生活をしていたのです。
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重臣達は、真田屋敷の北面に低い石垣と板塀で隔てて住居を設け、
敷地内には厩や蔵、納屋も作られていた様です。

牢人とはいえ、ある程度の自由な生活ができたものの、生活費は紀州藩からの
わずかの支給金と、上田城の兄からの仕送りに頼り、
かなり厳しいものだったようです。
有名な真田紐は、生活費を稼ぐ為の内職となっていたそうでした。

1611年に昌幸が亡くなった時、この地の森の中に宝篋印塔を建て、
そののち訪れた大安上人にて、善名称院が建てられました。
真田庵善名称院176.JPG

大安上人は、真田昌幸、幸村、大輔の御霊を地主大権現としてまつられ、
福徳を授ける神、知恵の神として一心に祈願すると霊験あらたかと言われています。
真田庵善名称院179.JPG

真田庵善名称院172-026.JPG


昌幸の一周忌のあと、昌幸の家臣の殆んどは上田に帰って行き、
わずか3名の家臣が残るのみの 寂しくなった九度山で
父の菩提を弔いながら日頃から来るべき日に備え、武技を練って
再起の時を待ったと思われます。


真田庵の境内には、慶長年間に真田屋敷に落ちた雷を、幸村が取り押さえて
この井戸に封じて、里人の難を救ったという言伝えが残されています。
真田庵善名称院154.JPG

真田庵宝物資料館は、善名称院の敷地内にある、小さな資料館です。
真田庵宝物資料館1-194.JPG

真田昌幸公、幸村公の鎧や兜のレプリカ、武器、書、肖像画の複製などですが、
幸村直筆と言われる書簡が、特に印象に残ります。

真田庵宝物資料館4-033-192.JPG

真田庵宝物資料館189.JPG

真田庵宝物資料館188.JPG


本堂では、真田幸村公の「おもかるさま」を見つけました。
真田庵善名称院166.JPG

真田庵から東へ170mのところに真田古墳があります。
四世紀頃の古墳ですが、真田の抜け穴伝説が残る為、その名が付きました。
真田古墳(抜け穴)038.JPG

この穴の向こうは、遠く大阪城に続いていて、幸村はこの抜け穴を使って
大阪城に出向いたと云う伝説です。
真田古墳(抜け穴)039.JPG

勿論、大阪との距離は果てしなく、抜け道がつながっているとは思えませんね。

実際は監視する様に言われていた九度山の村人と酒宴を催して、
迷惑が掛からぬように村人達を酔わせ眠らせてから この地を発ったそうです。

村人も、わかっていながら、酔ったふりをしながら涙を流して別れを惜しんだと云う
いい話と共に、こちらがホントの様に思えます。
真田古墳(抜け穴)199.JPG

大阪の三光神社にも真田の抜け穴があり、
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2016-06-21
豊臣秀頼は、真田大助とともに、
この穴を使って脱出して生き延びたという伝説もあるなど、
戦国のヒーロー真田幸村の人気が生んだ逸話と言えますね。



お昼時は、パンフレットに載っている食事のお店はどこもいっぱい。
「グラタンカフェ」さんも、開店して直ぐに満席になりました。
少し早目に行って良かった。
グラタンカフェ店外204.JPG

道路からは小屋らしき建物しか見えませんが、この「看板」の下から店内への入口が見えます。
地下にあるお洒落で本格的なグラタンが食べられる専門店として人気の店です。
グラタンカフェ店外236.JPG

沢山の種類のグラタンメニューがあります。
ベースとなるホワイトソースにいれるものとして、ペンネかドリアが選択できます。

せっかくなので、リッチな海鮮グラタン「SANADAMARU」をチョイス。
前菜3種、スープ、サラダが付いてペンネは2280円、ドリアは2380円です。

グラタンカフェ207.JPG

満席の為、少し時間が掛って オシャレな 前菜の登場!
ゴールドキウイの生ハム巻、蛸とスモークサーモン(レアな食感でした)、
私の好みは、鴨の燻製が丁度良い感じで特にgood。
グラタンカフェ043.JPG

スープは、冷製コーンスープを選択、もう1種の温かい別のは今日の気候には・・
オイリーな感じに見えましたが、後味さっぱりで夏向きで美味しい。

グラタンカフェ043-223.JPG



サラダは、地元の名産を使った 「玉ねぎドレッシング」か
「富有柿ドレッシング」でいただきます。

グラタンカフェ043-227.JPG

グラタンカフェ043-223-226.JPG

いよいよグラタンが焼けてきました。 ぐつぐつと 音をたてています。
海鮮グラタン「SANADAMARU」は真田の旗印が重要アイテム。

グラタンカフェ047.JPGグラタンカフェ048-229.JPG


お店はとってもお洒落。
グラタンカフェ店内216.JPG

グラタンカフェ店内233.JPG

トイレへの通路もお洒落。
グラタンカフェトイレ234.JPG

トイレの中もお洒落。
グラタンカフェトイレ235.JPG

お腹も心も充たされました。

さっぱり和食系の好みの方は、真田庵の隣の『幸村庵』さんの、蕎麦も有名です。
真田の故郷、信州上田の蕎麦職人が打つ本格派だそうです。
そば処幸村庵036.JPG

真田ゆかりの史跡だけなら半日あれば十分です。
お腹が満たされた私達は、空海ゆかりの寺社が建つエリアに足を伸ばしました。
詳しくは次の記事にて。








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大阪玉造 真田丸跡を散策して幸村ロードでランチ [戦国・パワースポット]

NHK2016年大河ドラマ【真田丸】の跡を巡る 私共の旅は、
JR環状線玉造駅より始まります。
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真田幸村こと、真田信繁が築いた真田丸の有った辺りへは、
幸村ロードを通り抜けて西に向かいます。
六文銭の真っ赤な旗指物がはためき、真田幸村公に因む
特別メニューやお土産を提供されている飲食店が並んでいます。
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真田十勇士のパネル人形が出迎えます。
猿飛佐助、霧隠才蔵、由利鎌之助、三好清海入道、穴山小助、根津甚八・・・
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NHKの真田十勇士の人形劇を見ていた世代の私としは、
懐かしい名前が並びます。


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駅より朝に通った時には、人影が無く店も閉まっておりましたが、
散策帰りには、お店が開き始め、少し早めの昼食をとる事にしました。

大枡さんの真田御膳-幸村の家紋・旗印である六文銭に因み、
刺身やてんぷら、煮物や和え物といった6種の日替わりのおかずがセット
になった写真に心惹かれました。

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予約されていたらしき方が入店されましたが、通常開店まで30分以上ある為、
もう一つ気になっていた、お好み焼きやさんの[風の街]玉造店さんへ。

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大阪千林発祥のお好み屋さの名店ですが、この店限定の真田十勇士玉があるとか。

幸村ゆかりの歴史散歩の後なら、やはり「真田十勇士玉」じゃなくては・・
牛肉・豚・イカ・タコ(冬季はカキ)・チーズ・モダンそば等、
真田十勇士をイメージした10種の具材を混ぜ込んだボリュームたっぷりの
名物メニューです。

風の街5-363.JPG


オーダーすると、店員さんが手際よく鮮やかな手付きで掻き混ぜながら、
熱くなった鉄板に種を少し落とし、タイミングを見て全て形を整え鉄板の上へ
ひっくり返すタイミングは壁の砂時計が落ちた頃と、言われました。 
風の街24-376.JPG


風の街26-378.JPG

生地をひっくり返したら、砂時計もひっくり返し落ちるのを見て、
ソースを塗り、青海苔や鰹節、そして、マヨネーズを
トッピングして出来上がり。
風の街28-381.JPG

熱々のお好み焼きには、やっぱり[ビール]これがよく合います。
風の街21-373.JPG

玉造駅から10分も掛からないうちに、宰相山公園にある三光神社が見えてきます。
今が旬なだけあって、小雨にも関わらず、多くの参拝、見学者のほか、
ガイドさんによるツアーの参加者の姿も見られます。

この三光神社には、仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命が祀られています。

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「三光さん」は中風封じの神、桜の名所として知られているほか、
大阪城と地下道で繫がっていると伝えられる「真田の抜け穴」の跡が
大河ドラマ「真田丸」により、脚光を浴びています。
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現在、抜け穴は通り抜けできませんが・・・
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11月の真田まつりには、抜け穴が開放されるそうです。
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この抜け穴の脇には真田幸村の陣中での指揮姿の銅像が建っています。


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旗指物のミニチュア(1000円)を買いました。
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真田山は、宰相山とも呼ばれますが、名前の由来は
前田宰相利常公から来ているとか。
加賀・前田隊が、大坂冬の陣の陣地を、この山から見渡せたそうです。


その真田山の丘の麓、三光神社の直ぐ近くに、
真田丸の戦いの戦死者を祀る善福寺さん(どんどろ大師)は、
宝暦二年(1752年)3月に高野山岩本院法資法道が
大坂の陣の戦死者の霊を弔う為に創建されたと謂れます。
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この寺の有った付近は、大坂冬の陣において、真田丸が築かれた辺りで
激戦地だった為、戦死者が多かった置思われます。

どんどろ大師さん
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勝軍地蔵さん
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身体の悪い所を撫でると良くなります。
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現在の大阪明星学園辺りに、大坂冬の陣の際、真田幸村が築いた
「真田丸」があったとされ、石碑には大阪城天守閣が監修した
「真田丸」に関する史料が記されています。

真田丸跡大阪明星学院高中253.JPG

真田丸の跡地は、大阪明星学院のグランドに姿を変えています。
真田丸跡大阪明星学院高中268.JPG

道路を挟んで向かい側に、興徳寺さんの山門が見えます。
行基によって造られたと云われる歴史の古いお寺で、
真田丸の戦いも見詰めていたのでしょう。

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外壁越しの高さ33尺の大きな 准提観音様のお姿に目を奪われます。
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手入れの行き届いた、素敵なお庭の奥に、おわします
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さらに、北隣の心眼寺さんは、大坂夏の陣で命を散らせた真田信繁と
その子大助の供養の為に、真田家の祖先滋野氏が江戸時代に建てた寺です。
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境内には、信繁の四百回忌に際して建立された墓碑があります。


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心眼寺さんの門には門扉に 真田家の旗印・家紋の六文銭があしらわれておりました
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真田丸は、東西210m、二つに分かれていたと謂れます。  
心眼寺の由緒書きによると、ここ心眼寺が東端との事です。

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272.JPG


その西に210m行きますと、そこには幸村が戦勝祈願したとされる
鎌八幡神社が見えてきます(撮影禁止の為、外観のみです)。
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鎌を打ち込む事で悪縁を絶つ、と古くから信仰を集める榎の霊木がある寺院です。
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大坂冬の陣の際、幸村も「鎌八幡大菩薩」と唱えながら鎌を打ち込んで戦勝を祈願し、
見事な成果を果たしました。
御神木の西側から寺の北側まで続く石垣は、真田丸の名残りではないか?
と謂れています。
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最後に北に向かい、玉造稲荷さんをお参りしました。
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豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けました。
戦国時代の戦火で荒廃しましたが、1603年に豊臣秀頼により社殿が再建されました。
元和元年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年に徳川幕府の大坂城代や
氏子らの寄進によって再建されたとの事。


現在の「玉造」の社名は、一帯が古代、勾玉などを作っていた
玉作部の居住地で有ったという伝承から付いた地名によるそうです。
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この神社は、豊臣秀頼にゆかりにある見所が多く見られます。

豊臣家奉納鳥居 は、 豊臣秀頼により社殿が再建された時に奉納された石鳥居です。
阪神・淡路大震災により基礎に損傷を受けた為、現在は上部・脚部に分け、
境内に置かれています。
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295豊臣秀頼公奉納鳥居.JPG

豊臣秀頼公銅像 --は、平成23年10月13日に建立されたものです。
293-292豊臣秀頼公.JPG

境内にある胞衣(よな)塚大明神は、 - 豊臣秀頼公の胞衣を祀っております。
303秀頼公胞衣塚大明神.JPG

当初は大坂城三の丸に当たる現在地に胞衣が埋められ、その後は
豊臣家を慕う当地の人々により密かに祀られていたと謂れます。

302秀頼公胞衣塚大明神.JPG

ここに生えている笹を、夜泣きをする子の寝床の下に敷くと、
霊験あらたかと謂われています。
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今回は、大阪冬の陣の真田丸の戦いが行われた辺りを散策しました。
当時のそのままの姿を見る事は出来ませんが、それが又、痕跡を探して
戦国最後の戦に思いを馳せるのも楽しいですね。









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「五猿」が護る 光秀ゆかりの西教寺 [戦国・パワースポット]

明智光秀は、一般には織田信長に反旗を翻した 謀反人でありますが、
ここ、比叡山坂本の地では、名君であり英雄です。

元亀2年織田信長の比叡山焼き討ちの際、坂本の地も災禍を被りました。
その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀でした。

10西教寺山門736.JPG


光秀は西教寺の檀徒となり、この寺の復興に大きく力を注ぎました。
天正年間に、大本坊を再建されたときの、「天正年中明智公所造古木」
など、この寺には、その頃の名残があちこちに見られます。

200菩提樹808.JPG

総門は坂本城の城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。

794-211鐘楼.JPG

天正10年に、天王山にて敗れた光秀は、6年前に亡くなった正室熙子や一族と
とともに眠っておられます。

199-773光秀辞世の句.JPG

198-770-2明智一族.JPG

190-193濃州妻木一族.JPG

客殿を拝観すると、光秀や明智家ゆかりのお宝が拝観できます。

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西教寺と刻まれた石碑が建つかたわらに、総門が建っています。
堂々として風格があり、瓦にある「大窪山」の号は、
聖徳太子から賜った山号ともいわれます。
12西教寺山門737.JPG

また、西教寺の号は天智天皇より賜ったとか。いずれにしても、謂れのある
古刹にはまちがいありません。

勅使門
80-749-184勅使門.JPG

85-751西教寺由来と碑.JPG

この総門は坂本城の一つとされ、正面から左右に袖のように直角に控柱が出て、
の上に屋根がのる高麗門に近い形式をとっています。

13西教寺門738.JPG

総門をくぐると一直線に延びる参道が見事で、塔頭が両側に並んで地方の信者の
宿泊所となっていますが、普段は静寂に包まれています。
桜や紅葉のシーズンには、参道をトンネルのように覆うとか。


急な石段を登ると、いよいよ伽藍の並ぶ境内が広がります。

祖師大師殿参道
51宗祖大師殿参道826.JPG

祖師大師殿
62宗祖大師殿218.JPG


西教寺は天台真盛派の総本山で、不断念仏の道場として、文明18年(1486)に、
真盛上人が入寺して再興させ、不断念仏の道場としました。


55宗祖大師殿821.JPG


しばし隆盛を誇っていたが、信長の焼討ちにより、46に及ぶ殿舎僧房も焼失し、
廃墟と化しました。
坂本城を築いた明智光秀は、西教寺の檀家となって町の再興に乗り出し、
本坊・他を寄進し保護し、菩提寺としました。現在の伽藍はそののち、
近世に再興されたものだそうです。


国重要文化財の本堂は、2.8mの阿弥陀如来坐像(重文)を安置しています。
元文4年(1739)建立、総ケヤキ、入母屋造、本瓦葺入母屋造、本瓦葺の
豪壮な建物です。

780-203.JPG

ケヤキの用材は紀州徳川家、時の徳川吉宗公から寄進されたものです。
特に正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇(籠刻)はすべてケヤキの素木造りで
豪華な彫刻を織りまぜ、江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています
781-782西教寺本堂.JPG

貞盛上人の教えをひたすら守られているため、本堂からは今も不断念仏の
鉦(かね)の音が絶えないそうです。

本堂の外陣に東側には十六羅漢の一つ賓頭盧像(びんずるぞう)、
西側に猿の常念仏姿の木像があります。撞木(しゅもく)をもって鉦(かね)をたたく
手白の猿です。


782-803西教寺本堂案内.JPG

叡山では、西教寺を復興した貞盛上人の出現を心良からず思っている者たちが、
日吉社を襲った土一揆の首謀者を貞盛上人に仕立て上げ、明応2年(1493)の早朝に
僧兵を使って、真盛上人を追い出そうと謀りました。

その時、越前に逃げていた貞盛上人にかわり、本堂で「手白の猿」が不断念仏の鉦を
叩いていたという伝説が残ります。

6西教寺と護猿の由来840.JPG

日吉山王の使者である猿までもが上人の不断念仏の教化を受け念仏を唱えている
事を目の当たりにした僧兵はその場を立ち去ったといわれます。
このときの猿の手が白かったことから「手白のましら(猿)伝説」といい、
その後、寺を護る猿として「護猿[ござる]」となり、縁がござる、福がござると
親しまれています。
寺では、ごえんと呼んで「五猿」と書きますので、本堂の猿の木像を撫でて、
よい護猿(ごえん)をいただいてください。
45-829.JPG

38-834.JPG


客殿は、国重要文化財で、本堂から廊下で繋がっています。
客殿庭園207-785.JPG


天正17年(1589)の建立のこけら葺の立派な書院造の建物で、
桃山御殿と言われています。
もとは豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、大谷刑部吉隆の母・山中長俊守内室が
寄進したもといわれています。

客殿は、上座の間を最高に、東から北へ並ぶ花鳥・賢人・猿喉(えんこう)
・鶴の間と続き、二列に配置された室にはそれぞれ狩野派の襖絵が描かれ、
とくに、上座の間の床・棚は古式を遺して障壁画も完備した非常に優秀な建築で、
貴重な桃山時代の様式を今に伝える建物です。
賢人の間の内仏は京都法勝寺伝来の秘仏薬師如来座像(重文)です。

この建物には柱や長押などに裂け目や接いだ痕が見られることも、
その時代を感じさせられますね。


客殿202-783客殿.JPG

内部はガラス越しに拝観できますが、撮影は不可となっています。
狩野永徳の肉筆によるものと言われる襖絵、壁、腰障子など、
お宝が並びます。

客殿庭園205.JPG
今でこそ、色は褪せてはおりますが、桃山時代当時の美しさは
言葉で言い表せないほどだったでしょう。 


客殿202-214客殿.JPG

書院の前庭は50坪程ですが、生垣、庭門、石橋、石籠などがあって、
鑑賞式枯山水の美を見せています。

客殿庭園205-790.JPG

客殿庭園208.JPG

桃山時代当時の裏山の斜面を比叡の山並みに、中央の池泉を琵琶湖に見立て、
中央には出島や岩島を配した蓬莱石組みの美しい庭園です。
裏山の急傾斜の山畔部を巧みに利用し、丸刈角刈の小刈込を駆使しております。

中央の池泉は琵琶の姿を取り入れた瓢型で、山畔の下部と池泉との間に小丘坡を築いた
二つの石組で構成されています。
初夏の新緑、さつきの咲く頃、秋たけなわの紅葉、冬の雪景色等は特に素晴らしい眺め
となるそうです。


客殿庭園799.JPG

客殿庭園801.JPG

阿弥陀二十五菩薩石像が、書院庭園を望む廊下に奉遷供養されています。

天正12年(1588)幼くして亡くなった娘の往生浄土を願って、富田民部之進が
建立したと伝えられます。各々の菩薩は、それぞれの手にちがう楽器を持っています。

臨終に当たって阿弥陀仏が、二十五菩薩を従えて音楽を奏し、来迎されるという教え
に基づいてつくられたものです。

195-769二十五菩薩像.JPG

中世以降庶民信仰の隆盛とともに、身の廻りの石材を使って自ら仏を刻み、
大量の石仏が作られたのだそうです。
195-768-2二十五菩薩像.JPG


明智光秀の糟糠の妻として有名な妻木煕子の墓がひっそりと建ちます。
細川ガラシャの母親にあたり、1576年、本能寺の変の6年前に亡くなっています。

192-767明智煕子.JPG

大本坊  

約150人が宿泊できる施設です。本坊とは庫裏のことをいいます。
当初は、明智光秀から坂本城の陣屋を寄進されたものでした。
現建物は昭和33年に完成した、昭和の木造建築としては県下で
最大のものだそうです。
大本坊791.JPG

戦国ファンは、ぜひ訪れてほしいスポットです。

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2020年 NHK大河ドラマ 麒麟がくる では、主人公となりますね
ドラマの展開が楽しみですね







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竹中重門ゆかりの竹中陣屋と 竹中半兵衛の居城跡 [戦国・パワースポット]

垂井駅から西北に3.5㎞、岩手という地に 
竹中重治(半兵衛)、重門父子ゆかりの史跡が残ります。
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半兵衛の父重元は、不破郡岩手城主・岩手弾正を攻略し、
翌年、この地に菩提山城を築いて大野郡大御堂城より居城を移し、
重治もこれに従う事になりました。

五明稲荷神社

岩手の集落の手前に、五明稲荷神社があります。
ここは盟友・黒田官兵衛の息子、松寿丸(のちの長政)を匿った場所
と言われています。

1-P4120280.JPG

信長が三木城攻略中に、摂津有岡城主荒木村重が謀反を起こし、村重を説得
する為 赴いた黒田官兵衛は、逆に捕らえられ、石牢に幽閉されてしまいます。
戻ってこない官兵衛を信長は裏切ったと思い、人質であった松寿丸を殺す様に
秀吉に命じます。

官兵衛に二心が無いと信じていた半兵衛は、主君信長の命に背き、
密かに自分の居城に近い五明に松寿丸を匿ったのでした。

有岡城から救出された官兵衛は、息子が殺されたと思っていましたが、
松寿丸と奇跡的な再会を果たします。
しかし、その時は既に、半兵衛はもうこの世にいませんでした。

境内には、松寿丸がお手植えされたとされる銀杏の木が今でも残っています
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竹中氏陣屋跡

竹中半兵衛重治は、黒田官兵衛孝吉と共に豊臣の名軍師としてその才を
如何なく発揮し、活躍しました。
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半兵衛の代までは、菩提山山頂の城を居城としていましたが、山城が不便な為、
その子 重門が山の麓に陣屋を築いた と言われています。

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その竹中陣屋跡には白壁の櫓門、がっしりとした石垣が残っており、
一族の隆盛を今に伝えます。

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竹中重門は、父が早世した為 まだ幼く、秀吉に竹中の当主として
認められなかった為、石高は少なく、関ヶ原の戦いの際も、
西軍に与するつもりであったのを、黒田長政の説得と井伊直正の仲介により
西軍に急遽翻りました。
その為、関ヶ原本戦で奮戦し、戦後も小西行長を捕縛する等、功績をあげた
のにも拘らず、6000石の所領安堵で旗本のままが精一杯でした。

しかし、拳上や陣屋の立派さを見ても、交代寄合として大名と同じく
参勤交代を許されている事より、半兵衛の子孫である為か
大名格の扱いがされている様です。
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竹中重門は、父親譲りの才知を文化の面に発揮したと思われます。
林羅山に師事して、文筆にも秀で、晩年には、
豊臣秀吉の伝記『豊鑑』を著しています。
また、最近、重門の連歌史料が何点か発見されましたが、
和漢の古典に対する造詣が窺われるものだそうです。

その流れを汲んでいると思われる施設が、陣屋の近くにありました。
竹中氏が天保年間に道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導した跡が
菁莪記念館として残されています。
10-P4120158.JPG

江戸幕府は朱子学を官学とし、藩校などでは武士教育が盛んに行われ、
儒学の教育が浸透していましたが、旗本レベルにて教育施設が作られ、
明治になって菁莪義校、菁莪学校として発展しました。

12-P4120156.JPG

現在、竹中氏ゆかりの品々、菩提山城や陣屋の復元予想模型図、当時の文献、
秀吉が半兵衛を説得している絵や甲冑のレプリカなど、約100点を公開している
そうですが、当日はあいにく休館でした。

15-P4120168.JPG

禅幢寺

陣屋跡から北へ数百㍍進むと、竹中氏とその家臣の
菩提寺 禅幢寺があります。

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薩摩国 金鐘寺(きんしょうじ)の正磧和尚(しょうせきおしょう)が
当地に来て開基となりました。
三木の陣において行年36歳の若さで病没した半兵衛の菩提を弔う為に、
その子重門がこの寺に墓石を移しました。
27-禅憧寺P4120058.JPG


寺の裏の墓地に、父重元、弟久作の墓と並んで半兵衛の墓が
現在も建っています。

44-P4120064.JPG

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48-P4120068.JPG

現存の本堂は重門の子、重常が寛文3年(1663)に建立したものです。

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陣屋跡の西方に竹中氏の居城が構えられた菩提山があります。
山城は標高402mの山頂に、およそ南北260m、東西最大幅60mの広大な
天嶮を利用しており、堅固な造りと巧妙さは、類を見ない規模になっています。

3-菩提山城址P4120189.JPG

標高402mの菩提山は、1時間程かけて登ると、大きく開けた山頂に到着する様です。
この場所が菩提山城跡で、南北におよそ206m、東西最大幅およそ60mの
広大な跡地であり、全国的にも珍しい、規模の大きな城跡と言われています。

現在、建造物は残っていませんが、堀切や堅堀などの遺構を見る事が出来る
そうですが、クマが出没するという事で登るのは危険の様です。

1-菩提山城址P4120191.JPG

昨年2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』の時は、多くの人が訪れた との話ですが
今は静けさを取り戻している様です。

JR垂井と関ヶ原の中間なので、車でないと不便な所ではありますが、
これからの爽やかな季節、私の様に垂井駅前の観光案内所にてレンタサイクル:500円
を借りられて廻られるのも良いと思います。駅から20分もあれば陣屋に到着します。

https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2013-04-08








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岐阜城とパワースポット金華山 [戦国・パワースポット]

十数年ぶりに、ロープウェーに乗って-金華山-に登ってきました。
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一般的には、金華山の山頂に岐阜城が建てられている 
と認識されていますが、岐阜城は山全体が天然の要害の城であり、
山頂の天守を中心とする城郭と山麓の城主居館をもって、
岐阜城として機能していたと考えられます。

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山頂と山麓は、幾つかの登城路で結ばれており、
長良川を望む眺望の良い 水の手道は瞑想の小路として整備されていますが、
-関ヶ原合戦-の前哨戦の時、東軍の先鋒・池田輝政軍が攻め上ってきたのは、
水の手道といわれています。

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最短距離で結ぶ急峻な馬の背は、
急ぎの時の道として使われていたようです。


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七曲道は、大手道として、戦国時代に家臣たちが登城する際に用いられていた
道といわれています。
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これらの道の見通しの良い所に砦が築かれていたようです。

金華山(標高329m)はかつては稲葉山と言われ、
斉藤道三の時代には 稲葉山城といわれていたのを、
織田信長公がこの地を岐阜と改名したのを機に 岐阜城と
呼ばれるようになりました。

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かつて因幡の国主が、陸奥12国を平定し、金石を持ち帰って
美濃に辿り着いた時、側近に謀られ、弟の景行天皇が美濃へ官軍を向け、
朝敵とされて命を落としました。
その時、因幡の国主が持って来た金石は、一夜のうちに山になったそうです。
これが-金華山-という名前の由来であり、-金華山-が-一石山-と言われる由縁です。

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その金石は、島全体が-金華山黄金山神社-の神域になっている
牡鹿半島の沖合にある
-金華山-からもたらされた為、その名が付けられたと云われます。

稲葉山という名称や、かつては稲葉山の麓にあったと云われる
-伊奈波神社-も、後に、謂れも無い罪を着せられた無念を知った 
景行天皇により、因幡大菩薩の神号を与えられ祀られた
という神話に依るものと云われます。

かつて伊奈波神社があったと云われる丸山の麓に 
お浄めの為の 御手洗池があります。
信長の孫 織田秀信が-関ヶ原の戦い-の前哨戦に敗れた際、
岐阜城落城により城中の女中らが この池に飛び降り命を絶った
と記されています。

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天下統一を目論む 織田信長が、この地を足掛りにしたのは、
天然の要害と言われる地形や頂上からの壮大な眺望の他にも、
この様な神力や大地のエネルギーが強く集まる土地の霊力があった
と思われます。

風水的にも、大地の気の経路である「龍脈」が通っており、
城を築く際に この様な要素も 取り入れられたと思われます。


天下第一の門
大手道旧三の丸付近に、一の門を復元した冠木門があり、
信長にちなんで「天下第一の門」と名付けられています。
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太鼓櫓跡
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太鼓櫓跡となっている レストラン展望台 からの眺め
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上格子門(二の丸門)跡
城下の大手門から大手道(七曲道)を上ってきた所に
上格子門(あげこうしもん)」が建っています。

天守閣の南西の一段下に二の丸が築かれ、
さらに一段下に二の丸門が建っていたそうです。

-関ヶ原合戦-の前哨戦となった岐阜城攻防戦では、攻め上ってきた
東軍の福島正則・加藤嘉明らの軍兵と岐阜城主織田秀信軍の将兵が、
この門をめぐって激しく戦ったと云われます。

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閻魔堂
閻魔堂に安置されている「木造閻魔王坐像」は延文3年(1358年)5月、
土岐頼康が四代目守護として岐阜県土岐郡から美濃へ進出し、
岐阜市下川手に「革手城」を築いた際、
「鬼門・悪病よけ」と「美濃の繁栄」を祈願し、閻魔堂を建立し、
安置したと伝えられています。

この閻魔様は、岐阜城が落城するまでは、
川手村の閻魔堂に安置されていたが、その後は、僧職の家で保管され、  
昭和51年9月21日に岐阜市の鬼門除けとして
金華山頂岐阜城二の丸跡に、閻魔堂を造り安置されたものです。


124.JPG

七間櫓跡と土塀跡

周辺は大きな岩塊や切り立った岩壁がそびえたち、上格子門の西の岩壁の頂に
七間櫓が築かれていたという要害の場所になります。

高さ9尺(2.7m)の石垣を積みあげて10間(18㎡)×5間(9㎡)の平地を作り、
番兵詰所と高い望楼的な建物を設けており、大手道を見張り、
上格子門を防御する役目を果たしていたと云われます。

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七間櫓から堀切を経て二の丸まで、土塀が築かれていたと云われ、
その一部が復元されています。


二の丸の土塀から天守を望めます。
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ここから、いよいよ天守閣を目指します。
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馬場跡
岐阜城内の曲輪内では唯一の平坦な土地で、上格子門から幅3間(5.4m)、
長さ30間(54m)続いています。

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岐阜城題目塚
二の丸門跡近くに建つ題目塚で、度重なる戦いで死んでいった人々の霊を
慰める為に建てられたと云われています。


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二の丸の西の階段を下った所に、
「金銘水」と名付けられている軍用井戸があります。

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金華山は、一石山(いっせきざん)と呼ばれるように、
全山が一つの岩塊で成り立っている為、要害堅固な岐阜城の弱点は、
籠城に備えた飲み水の確保が非常に困難な事でした。

-関ヶ原-の前哨戦の際、織田秀信軍は、岐阜城籠城作戦を取らずに
野戦に打って出たのも、この弱点を考えると頷けます。

湧水は一滴もない為、雨水と岩の間から僅かに浸み出てくる水を
溜める井戸を岩塊に掘削しており、その一つが金銘水です。

二の丸を挟んで西側に三ヵ所、東側に一ヵ所の井戸があり、
天守(本丸)から約50㎡下がった、
二の丸の東に位置する軍用井戸はが岩盤をくりぬいて掘られており、
「本丸井戸」と名付けられています。

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頂上付近には、斎藤氏の居城であった稲葉山城を攻め落とす際、
木下藤吉郎が手勢僅か七名を従えて 岩戸口から侵入して手柄を立てました。
その時、敵将を倒した槍に瓢箪を結びつけて、槍を振り回しながら勝鬨をあげた
と云われます。
その為、秀吉の馬印の千成瓢箪の発祥の地と云われています。

184.JPG

勝鬨をあげたと云われる場所は、天狗岩と云われる所で、
刀利天狗さんの祠があります。

183.JPG

182.JPG

復興天守は、コンクリート造りの為、往時の面影は有りませんが、
天守が復興された時、石垣は信長時代の石がそのまま使われ
積み直されており、石垣にわずかに名残をとどめます。

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天守閣の最上階の「望楼の間」は展望台となっており、
天下一の眺望が楽しめます。
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天守閣から岐阜城資料館を見下ろす
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岐阜城資料館
岐阜城天守閣から東の一段下がった位置に20間(36m)×6間(10.8m)の郭があり、
米や塩・味噌を蓄えておく蔵と 弓矢を備えた倉が建っていたと考えられています。

昭和50年に、瓦葺き・白壁造り・二階建の隅櫓形式に復元した資料館が建設されました。

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帰りもロープウェーを使って下山。
とは言っても、結構歩いて疲れた為、ロープウェー下の売店の
長良川サイダーでリフレッシュ!

194.JPG

岐阜城は、天守閣は岐阜のシンボルですが、城や居館の遺構など、戦国の世に
思いを馳せる事が出来ます。

そして何より、天守閣からの眺めと金華山自体のもつパワーを感じに訪ねてみて下さい。






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