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東京での初詣 明治神宮・靖国神社 [パワースポット]

前回ブログからの続きです

宿泊する京王プラザホテルを22時少し前に出て、
元旦0時の初詣でを目指します。
新宿駅西口より、山手線内回りに乗り、原宿で降りると 
早くも初詣に向かう人達がちらほら。
明治神宮の鳥居までは駅を出てすぐです。

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鳥居の前では、白塗りで仮装した若者たちが、警備の方に止められていて
「その恰好では中に入れる訳にいかない」「せっかく遠くから来たのに・・」
のやり取りが聞こえてきました。
新年の無礼講と言う事でしょうが、神様の前にあの恰好では・・・

暫く進むと、明治神宮と祀られている
明治天皇を紹介するビデオがスクリーンに映し出され、
その先に 初詣の行列の最後尾があり、トイレを済ませて並びます。

さすがに三が日の参拝者数が、30年連続で日本一の初詣スポットだけあり、
午後10時半にして、早くも行列の先頭が見えない位の参拝者の列が・・・

明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社で、
皇室弥栄を祈願し立てられました。
約70万㎡の境内には、全国から献木されたおよそ17万本、245種のうっそうと
した人工林が広がります。

1912年に明治天皇が崩御され、続いて、
1914年に皇后であった昭憲皇太后が崩御されると、
政府は神社奉祀調査会を設置して審議し、大正天皇の裁可を受けて、
1915年5月1日、官幣大社明治神宮を創建する事が発表されました。

明治天皇が
「うつせみの代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ」
と詠まれた 代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われ、
1920年11月1日に 鎮座祭が行われました。
この御料地はかつて近江彦根藩井伊家の下屋敷のあった場所で、
明治維新後に、井伊家から政府に対して献上されたものだそうです。

近年、清正の井がパワースポットとして注目されて、
都内有数の人気の神社となっています。

参拝待ちの人の列を見ると、<しばらくお待ちください> のプラカード
を持った警備の方が、200人毎位?に立たれて、私達の前方には
2つのプラカードが確認できます。

周りには、中国、韓国、シンガポール、アメリカ・・・様々な国籍の若者の姿が多く、
いろんな国の言葉が飛び交っています。

若い人に混じって待っている私達の足腰は時間と共に悲鳴を上げてきます。
一旦並ぶと、トイレ等で列を離れると戻って来れなそうなので、
並んで待つしかありません。
トイレに行かなくてよい様に水分を控えている前で、若い女の子が 片手に 
缶チューハイのロング缶を片手に グビグビ!
若いって無謀だけどいいな と ちょっと羨ましい!
遠くの鳥居を見ながら ひたすらに待ちます。

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0時5分前から、<君が代>が流れだし、やがて 待つ人の列から
カウントダウンが始まります。
0時になると、歓声、拍手が起り、列は動き出します。

そこで気が付いたのですが、2つか3つしか前方に見えていなかったプラカードは、
5つ以上ある事に気付き、お待ちください の指示が ゆっくりお進み下さい 
に変わり、少し行くと 又 お待ちください に変わるのを繰り返し、
なかなか進みません。

鳥居の下をくぐり、南神門が見えてきました。

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ようやく拝殿にたどり着き、参拝する事が出来ました。

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参拝を終えた時には、午前1時少し前。
岐阜や名古屋の神社の初詣では、参道や境内に露店が並ぶのが風物詩
となっていますが、明治神宮では、広場に露店が集められ良い匂いが漂っています。
参拝者数が多いからでしょうが、ごみが散乱させず神宮の景観を守る為にも
良い方法だなあと感心しました。

今年最初の切符を買い、新宿からホテルに戻ります。

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都内のJRや私鉄は、大晦日から元旦にかけて、一時間に2本程度終夜運転
しており、初詣には便利です。

ホテルの前のイルミネーションが消えていた為、道に迷い新宿警察署の方に道を
お聞きし、何とか戻り、疲れた足腰を風呂でリフレッシュして、眠りにつきました。

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朝目覚めると、カーテンの向こうに都庁が見え、思わず歓声が出ます。

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ホテルの朝食は、和洋食バイキング、カフェバイキング、和食バイキングの3店舗から
選ぶ事ができ、昨日の夕食を奢ってくれた 母の鶴の一声で和食に決定!

御雑煮、お煮しめ、伊達巻、紅白蒲鉾 等 正月らしい物等、ヘルシーなおかずが
ずらっと並び、母は皿に てんこ盛りに盛って戻ってきて、朝から凄い食欲に唖然。

東京と言うと、しょうゆ味が濃いイメージがありますが、どれも出汁の味が効いた
上品な味で、関西で食べる和食の様です。
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朝食を終えて、新宿駅で都営地下鉄・東京メトロの一日乗車券を購入して、
都営新宿線で靖国神社を目指します。

靖国神社は、初詣の定番ですが、私達には少し特別な所でもあるのです。
私の親族が、太平洋戦争にて北マリアナ海域で戦死しており、
私の祖母は、戦争で息子を亡くした為、毎年靖国神社にお参りに行っておりました。
父も、仕事を辞めてから、初めて母と旅行に行く時に 行き先は迷わず
靖国神社にしました。

今回、スカイツリーは勿論、靖国神社に参拝するのが目的の一つでもあるのです。

九段下にて電車を降り、靖国神社に向かいます。
高燈籠を眺めて進むと、大鳥居が見え、参道には露店が並んでいます。
大鳥居すなわち第一鳥居は大正10年に「日本一の大鳥居」として建てられましたが、
風雨による損傷の為に昭和18年に撤去され、その後、昭和49年に鋼管製で再建されました。
柱の高さが約25メートル、笠木の長さは約34メートルあり、重量は100トン。
震度7の地震や、風速80メートルの強風でも倒れない と言われています。


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靖国神社は、明治2年、明治天皇の思し召しによって建てられた
東京招魂社が始まりで、明治12年に「靖国神社」と改称されて
今日に至っています。

靖国神社は、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた
「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」
の御製からも知る事ができる様に、国家の為に尊い命を捧げられた人々の
御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。
「靖国」と言う社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」
「平和な国家を建設する」と言う願いが込められています。

靖国神社には、明治維新、戊辰の役、西南の役、日清戦争、日露戦争、満洲事変、
支那事変、大東亜戦争  等の国難に際して、国を守る為に尊い生命を捧げられた
246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、全て祖国に殉じられた
尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。


境内は桜の名所として知られる他、大鳥居が東側に向いている、
数少ない神社の一つでもあると云われます。


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しばらく進むと、目の前に銅像が見えてきます。
東京招魂社の建立に奔走し場所決定後、暗殺された大村益次郎の銅像です。

戊辰戦争終戦後、幕末維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが活発になり、
その為の施設である招魂社創立の動きも各地で起きました。
それらを背景に大村益次郎が東京に招魂社を創建する事を献策すると、
明治天皇の勅許を受けて明治2年旧暦6月12日に現社地での
招魂社創建が決定されたのです。

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神門は三間三戸の切妻造銅板葺で高さ6メートル、檜造りで、
中央間の扉には直径1.5mの16弁の菊花紋章が付けられています。

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拝殿前には、中門鳥居があります。
中門鳥居は平成18年に建て替えられた檜の素木鳥居。
埼玉県産の檜が用いられ、以前のものは昭和50年に奉納された
台湾産の檜が用いられていた。
さらに以前には扉が付いており、元々は門として機能していたと云われます。
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拝殿前には さすがに多くの参拝者で溢れています。
色々な思いを込めて 参拝をさせて頂きました。
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その後は、予てから行きたかった遊就館に向かいました。
前回参拝した時は、ツァーでの立ち寄りだったので、時間が取れずに
断念したので 今回はゆっくり時間をとって 観るつもりでした。

遊就館(ゆうしゅうかん)は、靖国神社境内に併設された同社の
祭神ゆかりの資料を集めた宝物館です。
幕末維新期の動乱から大東亜戦争に至る、戦没者や軍事関係の資料が
展示されています。
すなわち、明治15年に開館した日本における最古の軍事博物館なのです。

館名は、中国の古典、
『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」
から  「遊」 「就」 を撰んだものだそうです。
国の為に尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、学んで頂きたい
と言う願いが 館名に込められているそうです。

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玄関を入ると、想像以上に立派な展示が整然となされている事に驚きを感じます。

1階玄関ホールは、無料で見学ができ、展示物の撮影が可能となっています。

まず、実際の激戦の沖縄戦戦を戦った大砲が展示されているのに驚かされます。
第32軍直轄の最大長射程火砲部隊として沖縄戦を2ヶ月以上にわたり戦った
独立重砲兵第百大隊所属の八九式十五糎加農砲と沖縄戦を戦い
その大火力を発揮した野戦重砲兵第1連隊所属の九六式十五糎榴弾砲です。


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小笠原方面最高指揮官・栗林忠道陸軍大将隷下の第109師団噴進砲中隊に所属し
硫黄島の戦いで使用された四式二十糎噴進砲
四一式山砲、八八式七糎野戦高射砲、九二式重機関銃など

零式艦上戦闘機五二型(復元機)を見て、父が飛行部隊の訓練中に
終戦を迎えた事があり、 「戦闘機を見ると涙が出てくる」
と何度も言っておりました。
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大戦中に泰緬鉄道で鉄道連隊将兵の手により従軍し、
戦後はタイで運行されていた C56 31号機関車も展示されています。

その脇のエスカレーターからは、800円の入館料が必要となります。
エスカレーターの途中から、1階の展示物の全景を撮影。
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ここからは、撮影禁止です。

エスカレーターで2階展示室へ進むと、
時系列順に古代、近世、明治維新、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、
義和団の乱、日露戦争、満州事変、支那事変(日中戦争)、
大東亜戦争(太平洋戦争)関連の資料を展示されています。

日清・日露戦争以前は、昔の戦いと言う感じがしますが、
支那事変、大東亜戦争となると、私の生まれる10数年から20年前の事で、
幼い頃からよく話を耳にしたこともあり 生々しく感じます。

私が使った教科書では、真珠湾の開戦から原爆投下までの、
記述がごっそり抜けており、ここに書いてあることも知らず、また、
知ろうとも思いませんでした。

40歳を超えて、サイパンに慰霊に行って話を聞くまでは、
日本軍がどこでどのように戦ったのか、戦局の推移、
日本から戦地に赴いた兵隊さんがどのように海を渡り どのように戦い 
亡くなっていったのか等、全くと言ってよいほど知らなかったのです。

これらの事も、事実は事実として後世に伝えていく 必要は有る様に思います。


2階展示室では、刀剣類や甲冑、古式銃、軍旗などを展示してあり、
中でも陸軍歩兵第321連隊の軍旗は、終戦時の軍旗奉焼命令による処分を免れた
旭日旗部分や菊花紋の竿頭など完全な形で現存する唯一の軍旗だそうで必見です。


再び1階に下り、大展示室では、太平洋戦争で使われた兵器やそのレプリカ、
戦艦の模型、戦没者の遺品などがずらり並び 圧巻です。

サイパンの戦いに従軍し同島で発見された戦車第9連隊所属の九七式中戦車 チハ、
本土防空戦に従軍し戦後に埼玉県で発見された飛行第18戦隊所属の五式戦闘機の
残骸部品、ヤップ島で発見された艦上爆撃機彗星(復元機)、
海軍の特攻兵器である人間魚雷・回天や、人間ロケット桜花のレプリカ、
戦艦陸奥の副砲及び砲弾、四〇口径三年式八糎高角砲、精巧な軍艦模型等です。

母は、戦地にてトーチカ等を掘る為に使われた錆びたスコップ
の前で立ち止まっておりました。
戦死した伯父は歩兵の為、スコップで掘る作業をしていた 
と 祖母(姑)から聞いていたのを思い出したのだそうです。

その他、戦後行なわれた戦没者遺骨収集の際に戦跡で回収された遺品類、
戦没者の遺書においては、時代を超えて心に響くものがあります。

最後のコーナー「靖国の神々」では、祭神となった戦没者の写真が ご遺影として、
行く部屋にも亘り 壁一面に所狭しと貼られています。
これでも、戦死された方の ほんの一部という事なのです。
これらの方には、両親や兄弟、妻や子供、恋人などがおられた事を考えると、
いたたまれなくなります。

色々な事を考えさせられた、初詣となりました。






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