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岐阜城とパワースポット金華山 [戦国・パワースポット]

十数年ぶりに、ロープウェーに乗って-金華山-に登ってきました。
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一般的には、金華山の山頂に岐阜城が建てられている 
と認識されていますが、岐阜城は山全体が天然の要害の城であり、
山頂の天守を中心とする城郭と山麓の城主居館をもって、
岐阜城として機能していたと考えられます。

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山頂と山麓は、幾つかの登城路で結ばれており、
長良川を望む眺望の良い 水の手道は瞑想の小路として整備されていますが、
-関ヶ原合戦-の前哨戦の時、東軍の先鋒・池田輝政軍が攻め上ってきたのは、
水の手道といわれています。

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最短距離で結ぶ急峻な馬の背は、
急ぎの時の道として使われていたようです。


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七曲道は、大手道として、戦国時代に家臣たちが登城する際に用いられていた
道といわれています。
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これらの道の見通しの良い所に砦が築かれていたようです。

金華山(標高329m)はかつては稲葉山と言われ、
斉藤道三の時代には 稲葉山城といわれていたのを、
織田信長公がこの地を岐阜と改名したのを機に 岐阜城と
呼ばれるようになりました。

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かつて因幡の国主が、陸奥12国を平定し、金石を持ち帰って
美濃に辿り着いた時、側近に謀られ、弟の景行天皇が美濃へ官軍を向け、
朝敵とされて命を落としました。
その時、因幡の国主が持って来た金石は、一夜のうちに山になったそうです。
これが-金華山-という名前の由来であり、-金華山-が-一石山-と言われる由縁です。

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その金石は、島全体が-金華山黄金山神社-の神域になっている
牡鹿半島の沖合にある
-金華山-からもたらされた為、その名が付けられたと云われます。

稲葉山という名称や、かつては稲葉山の麓にあったと云われる
-伊奈波神社-も、後に、謂れも無い罪を着せられた無念を知った 
景行天皇により、因幡大菩薩の神号を与えられ祀られた
という神話に依るものと云われます。

かつて伊奈波神社があったと云われる丸山の麓に 
お浄めの為の 御手洗池があります。
信長の孫 織田秀信が-関ヶ原の戦い-の前哨戦に敗れた際、
岐阜城落城により城中の女中らが この池に飛び降り命を絶った
と記されています。

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天下統一を目論む 織田信長が、この地を足掛りにしたのは、
天然の要害と言われる地形や頂上からの壮大な眺望の他にも、
この様な神力や大地のエネルギーが強く集まる土地の霊力があった
と思われます。

風水的にも、大地の気の経路である「龍脈」が通っており、
城を築く際に この様な要素も 取り入れられたと思われます。


天下第一の門
大手道旧三の丸付近に、一の門を復元した冠木門があり、
信長にちなんで「天下第一の門」と名付けられています。
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太鼓櫓跡
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太鼓櫓跡となっている レストラン展望台 からの眺め
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上格子門(二の丸門)跡
城下の大手門から大手道(七曲道)を上ってきた所に
上格子門(あげこうしもん)」が建っています。

天守閣の南西の一段下に二の丸が築かれ、
さらに一段下に二の丸門が建っていたそうです。

-関ヶ原合戦-の前哨戦となった岐阜城攻防戦では、攻め上ってきた
東軍の福島正則・加藤嘉明らの軍兵と岐阜城主織田秀信軍の将兵が、
この門をめぐって激しく戦ったと云われます。

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閻魔堂
閻魔堂に安置されている「木造閻魔王坐像」は延文3年(1358年)5月、
土岐頼康が四代目守護として岐阜県土岐郡から美濃へ進出し、
岐阜市下川手に「革手城」を築いた際、
「鬼門・悪病よけ」と「美濃の繁栄」を祈願し、閻魔堂を建立し、
安置したと伝えられています。

この閻魔様は、岐阜城が落城するまでは、
川手村の閻魔堂に安置されていたが、その後は、僧職の家で保管され、  
昭和51年9月21日に岐阜市の鬼門除けとして
金華山頂岐阜城二の丸跡に、閻魔堂を造り安置されたものです。


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七間櫓跡と土塀跡

周辺は大きな岩塊や切り立った岩壁がそびえたち、上格子門の西の岩壁の頂に
七間櫓が築かれていたという要害の場所になります。

高さ9尺(2.7m)の石垣を積みあげて10間(18㎡)×5間(9㎡)の平地を作り、
番兵詰所と高い望楼的な建物を設けており、大手道を見張り、
上格子門を防御する役目を果たしていたと云われます。

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七間櫓から堀切を経て二の丸まで、土塀が築かれていたと云われ、
その一部が復元されています。


二の丸の土塀から天守を望めます。
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ここから、いよいよ天守閣を目指します。
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馬場跡
岐阜城内の曲輪内では唯一の平坦な土地で、上格子門から幅3間(5.4m)、
長さ30間(54m)続いています。

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岐阜城題目塚
二の丸門跡近くに建つ題目塚で、度重なる戦いで死んでいった人々の霊を
慰める為に建てられたと云われています。


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二の丸の西の階段を下った所に、
「金銘水」と名付けられている軍用井戸があります。

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金華山は、一石山(いっせきざん)と呼ばれるように、
全山が一つの岩塊で成り立っている為、要害堅固な岐阜城の弱点は、
籠城に備えた飲み水の確保が非常に困難な事でした。

-関ヶ原-の前哨戦の際、織田秀信軍は、岐阜城籠城作戦を取らずに
野戦に打って出たのも、この弱点を考えると頷けます。

湧水は一滴もない為、雨水と岩の間から僅かに浸み出てくる水を
溜める井戸を岩塊に掘削しており、その一つが金銘水です。

二の丸を挟んで西側に三ヵ所、東側に一ヵ所の井戸があり、
天守(本丸)から約50㎡下がった、
二の丸の東に位置する軍用井戸はが岩盤をくりぬいて掘られており、
「本丸井戸」と名付けられています。

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頂上付近には、斎藤氏の居城であった稲葉山城を攻め落とす際、
木下藤吉郎が手勢僅か七名を従えて 岩戸口から侵入して手柄を立てました。
その時、敵将を倒した槍に瓢箪を結びつけて、槍を振り回しながら勝鬨をあげた
と云われます。
その為、秀吉の馬印の千成瓢箪の発祥の地と云われています。

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勝鬨をあげたと云われる場所は、天狗岩と云われる所で、
刀利天狗さんの祠があります。

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復興天守は、コンクリート造りの為、往時の面影は有りませんが、
天守が復興された時、石垣は信長時代の石がそのまま使われ
積み直されており、石垣にわずかに名残をとどめます。

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天守閣の最上階の「望楼の間」は展望台となっており、
天下一の眺望が楽しめます。
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天守閣から岐阜城資料館を見下ろす
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岐阜城資料館
岐阜城天守閣から東の一段下がった位置に20間(36m)×6間(10.8m)の郭があり、
米や塩・味噌を蓄えておく蔵と 弓矢を備えた倉が建っていたと考えられています。

昭和50年に、瓦葺き・白壁造り・二階建の隅櫓形式に復元した資料館が建設されました。

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帰りもロープウェーを使って下山。
とは言っても、結構歩いて疲れた為、ロープウェー下の売店の
長良川サイダーでリフレッシュ!

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岐阜城は、天守閣は岐阜のシンボルですが、城や居館の遺構など、戦国の世に
思いを馳せる事が出来ます。

そして何より、天守閣からの眺めと金華山自体のもつパワーを感じに訪ねてみて下さい。






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igami

初コメント失礼します。
イガミと申します。

ブログを拝見させて頂きましたが、
雑誌のガイドには載っていないようなローカルの穴場的な観光情報まで紹介しておられ、非常に魅力的なブログだと思いました。

個別でご相談させて頂きたいことがあるのですが、
イガミ(jun.igami@dena.jp)までメッセージを送って頂くことは可能でしょうか?

手短にご説明させて頂くと、
地元ブロガーの方々の発信力を結集し、
ガイドブックに代わる新しい観光メディアを創ろうとしており、
陽陵泉様のご助力を賜りたく、ご連絡させていただきました。

お手数おかけしてしまい恐縮ですが、何卒よろしくお願い致します。

by igami (2014-04-15 18:09)