上石津のパワースポット 大神神社(おおみわじんじゃ) [パワースポット]
岐阜県の神社の中で、屈指のパワースポット と言われながら
余り知られていない神社が、岐阜県の大垣市に合併し、飛び地となった
上石津町の奥の山あい、三重県や滋賀県との県境に近い集落にあります。
JR大垣駅から、休日は2~3時間に1本の、名阪近鉄バスの‐多良・時-行き
に乗り、一時間余り。9時10分のに大垣駅前を出て、先ず、大垣市内を
垂井方面に向かい、静里から綾野そして一旦、養老町に入ります。
そして、又 大垣市上石津町に入り、中心地牧田に到着です。
牧田で、JR関ヶ原駅からのバスと連絡します(但し一日3本のみ)。
ここから、南に向けてかなり奥に進みます。長い上石津のトンネルを越えて
下多良の集落に入り、もう少し進んだところの「宮」でバスを下ります。
先ずは、『上石津町郷土資料館』に立ち寄ります。
[大神神社]はどの辺りかを、帰りに資料館の方にお尋ねすると、
玄関を出ると見える、「こんもりとした茂みの所です」と教えて頂きました。
小高い丘から下りて行く形で境内に入る形になりますが、
社殿は、多くの杉の巨木に囲まれて、僅かに顔を見せています。
この、大神神社の社叢は、県の天然記念物に指定されているだけあり、
幹の周囲が5mもある大きな杉の古木が何本も立ち並び、荘厳かつ
神聖な感じを醸し出しています。
鳥居の方に回ると、ひときわ大きな御神木があります。
そんなに大きくない境内ですが、鳥居をくぐると、空気が変わるのを感じます。
境内に入ると、正面に拝殿があり、後方に本殿。
本殿の左右に境内社が並びます。
右には、本殿の隣から神明社、愛宕社、秋葉社。
本殿の左には、赤い鳥居が建つ稲荷社があります。
大神神社は、延喜式神明帳に記載されている歴史の古い神社です。
延喜式神明帳とは、927年に作成された神社の一番古い名簿の様なもので、
ここに記載されている神社を式内社と言います。
社伝によると、朱鳥六年(692年)、実際には朱鳥六年という年は存在しない為、
朱鳥元年が686年という事から朱鳥六年は691年頃と推測されます。
持統天皇の伊勢行幸の際に、伊勢国三重郡に到着した時、
大物主神が右大臣三輪朝臣高市麿に託した
「わが住む社を美濃国多芸山の川上に建てよ」との御神託により、
この地を選んで創建されたという。創建当初は奈良の総本社大神神社同様、
大神神社と称していたそうです。
近くの郁季山宮ヶ平に神武天皇を祀る神社が永久元年(1113年)、
暴風雨によって流出し、この地に流れ着いたものを拾い上げて
当社へ合祀した為、流彦大明神と称しましたが、
後に、社全体を流彦大明神と称する様になったそうです。
往古は、上之山という山に鎮座していたものを、社殿消失により
永和七年(1375年)、現在地へ遷座されました。
明治になって、社号を大神神社へと戻し、郷社となったそうです。
人の気配も無くこじんまりとしていますが、お社は勿論、包み込むような
古木・巨木のパワーに充ち溢れた、素敵な所でした。
そして何といっても、あの奈良の大神神社と同じ祭神、同じ名の神社が
岐阜県の片田舎(失礼)に有ったのは驚きでした。
そして、この辺りは、看板や表札を見ても、―三輪姓― が多い様で、
大神神社の地域の人に及ぼす お力をも感じさせます。
連休はどこへ行っても混雑ですが、ここは大型連休の混雑とは無縁、
静寂のなか 神聖感な空気を満喫できるスポットです。
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どうぞ 皆様、よろしくお願い申し上げますm(__)m
余り知られていない神社が、岐阜県の大垣市に合併し、飛び地となった
上石津町の奥の山あい、三重県や滋賀県との県境に近い集落にあります。
JR大垣駅から、休日は2~3時間に1本の、名阪近鉄バスの‐多良・時-行き
に乗り、一時間余り。9時10分のに大垣駅前を出て、先ず、大垣市内を
垂井方面に向かい、静里から綾野そして一旦、養老町に入ります。
そして、又 大垣市上石津町に入り、中心地牧田に到着です。
牧田で、JR関ヶ原駅からのバスと連絡します(但し一日3本のみ)。
ここから、南に向けてかなり奥に進みます。長い上石津のトンネルを越えて
下多良の集落に入り、もう少し進んだところの「宮」でバスを下ります。
先ずは、『上石津町郷土資料館』に立ち寄ります。
[大神神社]はどの辺りかを、帰りに資料館の方にお尋ねすると、
玄関を出ると見える、「こんもりとした茂みの所です」と教えて頂きました。
小高い丘から下りて行く形で境内に入る形になりますが、
社殿は、多くの杉の巨木に囲まれて、僅かに顔を見せています。
この、大神神社の社叢は、県の天然記念物に指定されているだけあり、
幹の周囲が5mもある大きな杉の古木が何本も立ち並び、荘厳かつ
神聖な感じを醸し出しています。
鳥居の方に回ると、ひときわ大きな御神木があります。
そんなに大きくない境内ですが、鳥居をくぐると、空気が変わるのを感じます。
境内に入ると、正面に拝殿があり、後方に本殿。
本殿の左右に境内社が並びます。
右には、本殿の隣から神明社、愛宕社、秋葉社。
本殿の左には、赤い鳥居が建つ稲荷社があります。
大神神社は、延喜式神明帳に記載されている歴史の古い神社です。
延喜式神明帳とは、927年に作成された神社の一番古い名簿の様なもので、
ここに記載されている神社を式内社と言います。
社伝によると、朱鳥六年(692年)、実際には朱鳥六年という年は存在しない為、
朱鳥元年が686年という事から朱鳥六年は691年頃と推測されます。
持統天皇の伊勢行幸の際に、伊勢国三重郡に到着した時、
大物主神が右大臣三輪朝臣高市麿に託した
「わが住む社を美濃国多芸山の川上に建てよ」との御神託により、
この地を選んで創建されたという。創建当初は奈良の総本社大神神社同様、
大神神社と称していたそうです。
近くの郁季山宮ヶ平に神武天皇を祀る神社が永久元年(1113年)、
暴風雨によって流出し、この地に流れ着いたものを拾い上げて
当社へ合祀した為、流彦大明神と称しましたが、
後に、社全体を流彦大明神と称する様になったそうです。
往古は、上之山という山に鎮座していたものを、社殿消失により
永和七年(1375年)、現在地へ遷座されました。
明治になって、社号を大神神社へと戻し、郷社となったそうです。
人の気配も無くこじんまりとしていますが、お社は勿論、包み込むような
古木・巨木のパワーに充ち溢れた、素敵な所でした。
そして何といっても、あの奈良の大神神社と同じ祭神、同じ名の神社が
岐阜県の片田舎(失礼)に有ったのは驚きでした。
そして、この辺りは、看板や表札を見ても、―三輪姓― が多い様で、
大神神社の地域の人に及ぼす お力をも感じさせます。
連休はどこへ行っても混雑ですが、ここは大型連休の混雑とは無縁、
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