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大垣城 と 関ヶ原の戦い [戦国]

大垣城
大垣城は1635年尼崎城より入城した戸田氏鉄から大政奉還まで
戸田氏が城主を務めましたが、
歴史上に名を馳せたのは、関ヶ原の戦いにて西軍の拠点になった事です。
1595年に伊藤祐盛の時に天守が築かれましたが、石田三成率いる西軍は美濃入りして
祐盛の子盛宗に城を明け渡させ、入城を果たし、
三成の他、島津義弘・豊久、宇喜多秀家、長束正家により軍議が開かれました。
家康らの遠路の移動による疲労を突く夜襲や大垣城に籠城し毛利輝元の出馬を待つ案が
出されましたが、三成は 関ヶ原に移動しての 野戦を選択します。
大垣城では、三成の義弟である福原長堯(ながたか)・熊谷直盛・垣見家純
を主力とする守衛部隊と
東軍水野勝成・西尾光教・堀尾忠氏らによる激しい攻防戦が行われました。
関ヶ原の戦い の敗戦がもたらされ、
水野勝成と旧知の仲である大垣守備隊の秋月種長に内応を迫り、
相良頼房、高橋元種と共に、福原・熊谷他、垣見・木村の城将の暗殺を謀り、
福原以外は討たれてしまうのです。
福原長堯は、必死の防戦をするも、内応勢も東軍に加わり、
城兵が少なくなり、ついに降伏する事となったのです。
こうして、関ヶ原の戦い の8日後に大垣城は落城したのです。


大垣城は1535年に築城され、戦前には国宝に指定されていましたが、
1945年7月の空襲で焼失。
1959年に再建、外壁・屋根の老朽化に伴い、
2009年から復元改修工事が始まり、城の外観を戦前のものに
近付ける様に、外壁・窓・瓦を古い文献や戦前の写真を元に
復元され今年2月12日の改修終了し、改修後の雄姿が見られます。

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『おあむ日記』
おあむ の父親は石田三成の家臣で300石取りの山田去暦という侍で、
父と共に大垣城に籠城していたが、かつて家康の書道の師匠であった為、
おあむ は落城寸前に救われて、大垣城を脱出しています。
西堀の松から舟に乗って逃れたとされる、おあむ の松が残ったそうです。
『おあむ日記』の展示は複製ですが、展示品の中で一番印象深いです。
おあむが 年老いたのち、16歳の時に体験した思い出を筆録したもので、
関ヶ原の戦い中に、女達が鉛で鉄砲玉を造っていたり、
父や兄が取ってきた首に首化粧、つまりお歯黒をつけて、
身分の高い者に見せかけ良い恩賞を得ようとした様子が描かれています。
おあむは、
「最初は恐ろしかったが、生首も見慣れてくると意外と可愛いものだ」
の様な事が事が書かれていて、背筋が寒くなります。
しかも、美しい文字で書かれている為、内容とのギャップが興味を深めます。


飲食空間 芭蕉三六〇

大垣城と、JR大垣駅の中間地点にある古い民家を使った居酒屋さんですが、
ランチがお勧めで大垣城探訪の際に立ち寄るのに最適です。
特に芭蕉弁当は、ボリュームたっぷりの
熱々の天ぷらに、新鮮な刺身、焼き魚に良い味付けの煮物、
三色団子にデザートのイチゴまで付いて980円は満足度◎です!

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