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小堀遠州が築いた水口城 と 大池寺庭園 [城郭]

竹生島クルーズより戻り、近江鉄道の彦根駅に戻ってきました。
通りには、朱い幟旗に井の字が記され、
ミニチュア模型の彦根城を足下に この像。

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ここからは、彦根・竹生島1dayパスにて、近江鉄道乗り放題の旅です。

まずは最大限フル利用してみようかな?と考えて、貴生川行の電車にて 
一度訪れてみたいと思っていた 水口城南駅を目指します。

既に入線済みの、貴生川行の電車は、春の交通安全期間中という事で 
車両のデザインは黒と白のパトカー仕様、
滋賀県の交通安全大使の AKB48田名部生来さんの
警察官姿の写真が大きく車体に描かれ、サインもしてあり、車内天井部も
決めポーズ写真いっぱい の斬新なもので 郷土のアイドルを応援する
意気込みを感じました。

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途中の 八日市駅は東近江大凧まつり の当日の為、畳2百枚分の
大凧などが上がるのを見学する見物客で混雑していました。

八日市を過ぎると、車窓の風景はのどかな感じに一変し、
〝郷土の英雄蒲生氏郷を大河ドラマの主役に〟 と書かれた看板が立つ 
日野駅 を過ぎると、どこまでも続く、休耕田ばかりの景色がひろがり、
店はおろか 民家もまばらに・・・

まだ昼食をとっておらず、
乗船場で少し早いお昼を食べておけ良かったかな と後悔し、
何時に食事にありつけるのかと と 少し不安になりました。

電車を降りる予定の 水口城南駅が近付くにつれ 少し街並みが見えて 
ホッとしたのも束の間、駅を降りると、食事をとれそうな店は無く、
とりあえず 水口城を目指して歩きましたが、城を過ぎても、
ランチ時を過ぎて 開いているお店は見当たらず どうせならと、
以前から行きたかった 大池寺方向に 店を探しながら歩きました。

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名阪国道沿いに、マクドナルドとサイゼリアをみつけ、やっと腹ごしらえができ、
名阪の下をくぐって 大池寺の名前が彫られた 道しるべをみつけました。

その方向に歩くと、村社 八幡神社があり、その奥に
行基が 日照りに悩む農民の為に造営した 灌漑用の溜池である 
弁天池・しょうぶ池・びくに池・今池 の心字の池が広がります。
寺の名も、この池に由来しています。

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大池寺は 天平年間に 行基が開創しており、池の中央に本堂を建て、
「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝えられています。
天正年間 兵火により、天台寺院としての七堂伽藍はすべて消失しましたが、
この 行基作といわれる釈迦如来像のみが 奇跡的に残り、
現在もお姿を拝観する事が出来ます。

江戸期に入り、京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れた際、
草庵に安置された仏像を見て、臨済宗寺院として再興され、
寺名を「青蓮寺」から、「龍護山大池寺」と改名されらしいです。

入り口に立つと よく手入れされた庭の奥に 
仏殿が見え 静寂の中に凛とした 佇まいをみせております。


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拝観受付に行くと、暫くすると
着物姿の女性の方が受付・案内をして下さいました。
先ずは、前庭の樹齢350年以上という「開山臥龍の松」を観賞しました。

案内の方が言われた様に、築山枯山水に 老松で以て 鶴の舞
を表したという 額縁の中の絵の様な 眺めです。

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前庭は、築山枯山水で 蓬莱山と呼ばれ、白壁の土蔵によく映えます。
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案内のビデオを見せて頂いてから、いよいよ 蓬莱庭園へ。
蓬莱庭園は、江戸初期に水口城築城に携わった 
小堀遠州が、水口築城を祝して作庭したと言われる 
サツキの大刈り込み観賞式枯山水庭園です。

案内されて 庭の見える 書院に入った途端 
「わぁ すごい!」という声が思わず出た位の
圧倒される様な迫力のある 見事な庭です。

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私は、大学時代京都に住み、
京都の有名な寺院の庭園を見て回りましたが、
これほどの庭には出会った事は ありませんでした。

大波小波が立つ大海に七福神が乗る宝船が浮かんだ仙境が 
サツキの刈り込みで表現され、刈込による亀島や中央の礼拝石が配され 
刈込の 曲線の美しさは 息をのむ美しさです。
サツキの花は ほんの僅かしか咲いていませんでしたが、翠一色の刈込の方が、
禅の幽玄の美しさを 表している様で 反って良かったのでは? と思いました。

この庭を眺めながら、抹茶を頂き、至福のひと時を過ごす事が出来ました。

その後、本堂に安置されている本尊 釈迦如来像を参拝させて頂きました。
この空間に入ると、庭の雰囲気と全く異なり、信仰の場所と変わり、
天平時代の作といわれる 釈迦如来は古の雰囲気が漂う 趣を感じます。
そして その包み込まれるような 大きさに圧倒されます。

大池寺は、行基ゆかりの 古の霊跡に 小堀遠州の禅味あふれる趣が加わり、
わざわざ 訪れたいスポットとして お勧めです。

市街地に戻り、水口城跡をめざします。
水口は、古城山の水口岡山城跡と 水口城跡の二つの城跡があります。
水口岡山城は、天正13年に 中村一氏が 豊臣秀吉の命により 城を築き 
水口城下町の原型が出来ました。
その後、増田長盛 長束正家と五奉行衆 が城主を務めました。
-関ヶ原の戦い-で 石田方に与した 長束正家が西軍敗戦後に 
立て籠もりましたが、池田長吉らにより 攻め込まれて 
降伏し 落城しました。

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石田三成の居城であった 佐和山城のあった彦根と同様、
江戸期に造られた水口城は、場所を移して築かれています。

水口は、古くから伊勢に通じる街道の要所として 宿場町が形成され、
関ヶ原の戦いの後 幕府の直轄地となり 東海道の宿駅として 
家康も利用しておりました。
しかし、宿泊施設が少ないため、三代将軍 家光が 上洛のための
宿館を築かせましたが、これが、水口御茶屋 すなわち、水口城です。

築城の作事奉行には 建築・ 作庭・茶道で有名な 小堀遠江守政一 があてられ、
のべ 10万人の大工が動員されたそうです。
水口城は石垣や 堀に囲まれた本丸と、管理施設である二の丸の二郭で構成され、
本丸御殿は将軍の宿館が建てられ、奥向と 表向に分けられ、
奥向 には、将軍の御座所が設けられ、これに面した庭園には 二階建ての望楼風の
御亭 が建てられました。

家光上洛後は、常磐が管理していましたが、
1682年に 石見より加藤明友 が入城し、水口藩の居城となりました。
明友は、豊臣秀吉子飼いの武士で賤ヶ岳質本槍で有名な 加藤嘉明を祖父に持ち
この城を <碧水城>と命名しました。
加藤氏は、幕府に気を遣い 本丸御殿には足を踏み入れずに 二の丸御殿を築いて
居館としていたそうです。

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明治維新後 廃城となって、建物や石垣の大半が消失しましたが、
本丸から出丸にかけて堀および石垣が残り、その遺構が残る出丸部分に 
本丸の乾櫓を模した木造2層2階建ての破風を凝らした建物が建ち、
資料館となっています。
矢倉は 明治維新後に民家に売却した建物の古材を活かして建てられています。
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また、長屋門や御成門、御成橋、土塀などが復元されています。
御成門付近の石垣と乾櫓の石垣は、
水口岡山城から運んだ石で積まれているといわれています。

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水口城は、城と言うよりは 館で 往時の建物は残っていませんが、
小堀遠州の足跡を 大池寺とともに訪れると
彼の才の素晴らしさを 感じる取る事が出来るのです。







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