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白山長滝神社―長良川鉄道にて白山信仰の足跡を辿る [パワースポット]

長良川鉄道は 美濃加茂市:〈美濃太田駅〉 を始発とし 
美濃市 から 長良川を北上し 郡上 北濃  まで 
2時間強で結んでいます。

途中〝うだつ〟のある街並みの美濃市、
水と踊りの城下町 郡上八幡 等の
小京都と呼ばれる有名な街を通り 
観光客や鉄道ファンに人気の ローカル鉄道です。

この路線は、
白山前宮である『洲原神社』、『白山長滝神社』、『白山中居神社』を 
結ぶ白山信仰 の拠点を結ぶ鉄道でもあります。
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〈美濃太田駅〉 にて 【1日フリー切符】を買い求めて、旅の始まりです。

〔長良川鉄道〕の〈美濃太田駅〉より、〈白山長滝駅〉迄は 片道1650円が通常ですが、
【ぎふ清流国体 ぎふ清流大会 開催記念乗車券 長良川鉄道1日フリー切符】2000円
を利用しての、片道2時間の旅。
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かなり前から入線している
〈美濃大田駅〉9時50分初の[ゆらーり眺めて清流列車]に乗車です。

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薄曇りですが、まだまだ薄着・半袖の方が多い車内は、
家族連れ・団体客で満席となりました。
車内には、観光情報の口コミや 絶景ポイントの案内 等
が書かれた一口メモの紙が貼られ、
[ゆらーり眺めて清流列車]と言う 名の通り、
観光ムード一色という感じです。

車窓より眺める秋景色は、
稲が刈り取られ、ハサ掛けされた田んぼの端や草むらの間に、見える 
曼珠沙華の朱・にススキの白、セイタカアワダチソウの黄、 
コスモスやサルビアの花 又、柿の木の枝には色付いた柿の実が、
銀杏の木の枝からも色付いた銀杏が しなった枝がその実りの重み
を感じさせます。

〈洲原駅〉を過ぎた辺りの車窓から 『洲原神社』 の 社叢 
を見下ろす事が出来ます。
この森は 仏法僧 の繁殖地として 有名ですが、
この神社も 『白山神社』 の 前宮とされ 
美濃からの 白山詣で の人が 必ず立ち寄った所と言われています。

日本のまん真ん中の町 美並、駅の中に温泉が湧き 
改札を出ずして 温泉に浸かれる
〈みなみ子宝温泉駅〉等 マスコミで良く取り上げられる 名所を通り過ぎ
〈郡上八幡駅〉にて 観光客・家族連れの殆んどの乗客が降りた為、
車内は 一気にガラ~ンとしてしまいました。

長良川では、ヤナの様子や 多くの釣り人達、投網をされている光景も目にしました。
※第19回長良川ホワイトウオーターフェスティバル(10/6~8)の ラフティングの方達が、
パドル を漕ぎながら ラフト より、車窓の私達に手を振って下さいました。

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〈郡上八幡駅〉を過ぎて、ふと見えた、東海北陸自動車道は 渋滞の様で
のんびり ゆっくりの 筈の 長良川鉄道よりも 先に進めない様子。

〈郡上白鳥駅〉を過ぎると、乗客は数える程となり 
無人駅の〈白山長滝駅〉にて下車し、
近くの民家の庭先の 金木犀の甘い香りが漂っている中、
線路を横切り 昼食をとろうと 〈道の駅:白鳥〉 に向かいました。
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長良川の最上流にある道の駅の [レストラン長滝]では、
奥美濃ならではの味覚を使った オリジナルメニューが魅力です。

御当地味噌である 麦みそ=郡上味噌 と 地元素材を使った 
奥美濃カレーの認定メニューである
〔よもぎ餅入りカレーうどん〕〔奥美濃自然薯カレー〕
を筆頭に、とうふ味噌定食、あまご釜飯、とろろ定食 等が食べられます。

私達は、奥美濃自然薯カレーとあまご釜飯セット、みそかつ定食
をオーダーしました。

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みそかつ定食
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あまご釜飯セット
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自然薯カレー
(実際は、白御飯の上に2枚の香の物=蕪 が付いてます...苦手なので反射的に即効で つい避けました[あせあせ(飛び散る汗)])

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カレーは甘口ですが、お好みで〝辛味噌〟で辛味を調整して頂け、
自然薯との相性も良いです。 ぜひ一度 お試し下さい。



食後は、道の駅に隣接している [白山文化博物館]を訪れました。
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-白山-をモチーフにした 瀟洒な外観のこの施設は、
『長滝白山神社』・『長瀧寺』・『阿名院』 等に伝わる
仏像・仏画・古楽面・工芸品などの文化財を 順次公開しており、
平成24年9月6日~11月24日は 〔長滝の古楽面 文化財〕の特別展示があり

『長滝白山神社』蔵の展示品
木造古楽面26 鉄製斧1 古瀬戸黄釉瓶子1 銅仏餉鉢 3 (以上国重文)

鉄製の手斧は、修験者が山に分け入る時の法具と言われ、瀬戸瓶子は 
境内から発掘された物で、正和元年(1312)の銘があり、正和のツボとして知られ、
これを模した〔永仁のツボ〕の贋作問題まで発生した 名品と言われます。
仏具である 金銅仏鉢には、3つそれぞれに正和・元亭・延元(何れも14世紀)
の銘があります。

聖武天皇真影1 (県重文) 絹本着色白山曼荼羅図1 木造菩薩像1 癋見面1(市重文)

『長瀧寺』蔵の展示品
木造沙弥行兼坐像1 経机・付版本法華経1 (以上県重文) 延暦寺政所下文(市重文)

その他には、『阿名院』蔵 木造阿弥陀如来像1 八幡神社蔵 舞楽面 (共に市重文)
が展示されておりました。

館内では、映像による 霊峰白山登拝ができ、美しい白山の四季を 体感 出来 
白山信仰 の世界を 少しだけ味わう事が出来ます。

その他、郡上一揆の際の〔傘連判状〕は、一揆の中心人物が処刑されるのを防ぐ為、
傘の様に円状に 名前を連署したもので 実物が展示されており 感激です。

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『長滝白山神社』 は、
長良川鉄道の〈白山長滝駅〉に隣接し、国道脇の山裾に沿って
右に『白山神社』 左に『天台宗長滝寺』と彫られた石標が建ち、
木々生い茂る参道を進むと正面に 『白山神社』の拝殿と神殿、 
左側に 『長滝寺』、右側に宝物を収蔵する 『瀧宝殿』があります。

学生の頃に 山岳信仰の研究をしていた為 訪れて以来 2度目の
お参りとなります。

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社伝によると、奈良時代 -白山-を開いた高僧 泰澄の創建と伝えられ、
後に 神仏習合により 『白山本地中宮長滝寺』 と称しました。
明治維新の神仏分離令にて 現存の様に分けられたと言え、
神仏習合の色を残しております。
天長9年(833)には登拝拠点となる「白山三馬場」が成立して、『長滝寺』は
-白山-信仰の美濃側の中心となっていたと言われ、
鎌倉・室町期には、朝廷・武士・豪族の崇敬を集め、
神社仏閣 堂宇30余、6谷6院 360坊を数えました。

信徒は 美濃・尾張・三河・遠江・駿河までに広がり、
〝長滝の法水 遠近に溢れ 石に花咲く時〟と言われたそうです。

美濃・加賀・越前の三国にまたがる-霊峰白山- は、
古くからの信仰の対象となり
『長滝白山神社』は 加賀の本宮に対して-中宮白山- と言われ、
〝上り千人 下り千人〟と形容される程の 多くの 参拝の人々で 
大変賑わったそうです。

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-白山- の入り口である 郡上には、白山権現 を祀った社が65社、
岐阜県下では、525社 を数えると言われます。
そのうちで 最も栄えた 『白山中宮』には、社家を中心に先達利権を持つ坊中が
立ち並び、-白山-を訪れる人達の先達となり 生業としていました。
又、修験者の活躍と共に 御師と言う人達が 布教活動を行いました。

戦国期には 末寺の多くが 浄土真宗 に転宗して 勢力は衰えたものの、
江戸期にも郡上藩からは寺領76石が安堵され20余坊、数院を擁していました。
江戸末期の三馬場の勢力は、
『加賀白山寺白山本宮』系統の『白山神社』は約700社、
『越前平泉寺』系統は約500社に対し、
『美濃長滝寺白山本地中宮』系統は、約1300社
であったと言われます。

明治維新の神仏分離令にて
『長滝寺』は『白山神社』から独立し、それに伴い多くの支院・坊中が廃止され、
さらには、明治32年の大火により多くの堂宇、寺宝が焼失した事で大きく衰退し、
坊院としては 『阿名院』と『経聞坊』・『宝憧坊』を残すのみとなりました。

『阿名院』
『阿名院』の創建は養老元年(717)、泰澄が開山したのが始まりと伝えられ、
白山長滝神社の別当寺院になりました。
その後、一時荒廃しましたが 室町時代末期に 経聞坊隠居道雅法師が再興し
慶長5年(1596)に大講堂や経堂、金剛童子堂、十王堂 等を建立しました。
明治に入り 神仏分離令 により『白山長滝神社』から独立した為、
多くの支院が廃されましたが、僅かに残った坊院の1つとして歴史を伝えています。

現在の『阿名院』は 民家の様な外観です。
〝長滝〟の語源になった 泰澄 が 『白山中宮』建立寺に発見した、
滝の洞窟にて、天文年間(約460年前)に『阿名院』・道雅法師が
この滝の洞窟で祈念をしてみると 光まばゆい阿弥陀如来が現れた事から、
”阿弥陀ヶ滝”と呼ばれる様になったと言われています。

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『宝憧坊』
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『経聞坊』
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境内散策

境内の建物は 明治の大火にて消失した為、殆んどが大正時代再建で、
境内正面にの大きな拝殿、その後ろに長い塀に囲まれた 本殿―大将軍社、
『白山三社』(越南智社、白山大御前社、別山社)、『若宮社』の五社殿
が立ち並んでいます。

『白山神社』拝殿

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『白山神社』本殿
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〈石燈籠〉 (国重文)
正安四年(1302)壬寅七月日 願主伝燈大法師覚海 の刻銘があります
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『長滝神社』の大杉
境内にある 大杉 は 推定樹齢600年、樹高約40m、幹周6.1mの大木で
岐阜県指定天然記念物 に指定されています。
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『長瀧寺』
『長瀧寺』の建物としては、
大講堂、薬師堂、弁天堂、鐘楼、経蔵 等があります。

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『長瀧寺』大講堂に、靴を脱いで上がらせて頂く事ができ、
瀧宝殿に収められている物・[白山文化博物館]展示 以外 の 寺宝を 
無料で拝観させてもらえました。

10月初旬なのに 大きなストーブが焚かれているのに驚いていると、
寺務所の方が 
「ここは、日本一寒いよ。 この様な極寒の地だからこそ 身を傷めつけるのを
良しとする 修験者の修行場所として この地が選ばれたんだよ」
と、言われたのが 印象的でした。

『長瀧寺寺宝』(県重文)
-木造地蔵菩薩立像- - 木心塑造韋駄天立像- 及 -木造善財童子像-
-牛皮華鬘(ごひけまん)- - 金銅華鬘(こんどうけまん) -  荘厳講執事帳 等

4冊600円 の メモ帳を 購入し、お土産としました。
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瀧宝殿
鎌倉期の木造釈迦如来 及両脇侍像 3 木造四天王像4 宋版一切経20(以上国重文)
木造狛犬2 木造男神像1(市重文) 阿名院蔵 木造不動三尊像(市重文)が
収められていて [白山文化博物館] との共通券にて 拝観できました。
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延年水

『長瀧寺』脇に、霊水が こんこんと湧いている。 謂れは 下の案内板をご覧ください。

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太鼓橋
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残存する坊の他にも、多くの坊跡が残ります。
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一乗坊跡
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蔵泉坊跡
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『長滝白山神社』の北に行き、山側に少し入ると、
唯一残存する社家 若宮家が残ります。
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祖先は奈良朝廷に仕えた公卿で 1250年前に この地に移り、
代々『長滝白山神社』の神主執行家 として奉仕して 
現在の当主は 40代目の宮司となります。
母屋は天明5年(1785)年 文化8年(1811)の務名札が残る 文化財で
-白山-信仰の隆盛と衰退、白山文化継承の歴史を今に伝えています。

若宮家住宅は昭和38年に県指定文化財に指定され、同年増改築を行ない、
増改築部を展示施設として公開し、白山文化・郡上 の歴史を伝える
美術工芸資料、民俗資料が展示されています。

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今回は、『白山中居神社』 迄は行かず 長滝 のみの 訪問でしたが、
爽やかな〝気〟を頂き 〈白山長滝駅〉 14時12分発の列車に乗って 
帰途につきました。






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どうぞ 皆様、よろしくお願い申し上げますm(__)m

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小物主

伊福岐神社 行って来ました。
垂井のイブキが良かったです。
収穫もありました!
by 小物主 (2012-10-19 09:40)