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徳川親藩 松平奥殿藩陣屋と 岩津天満宮 [パワースポット]

名鉄東岡崎駅から、-奥殿陣屋行き-の名鉄バスに乗って30分余り、
持統上皇が命名されたと云う-花ぞの山-の麓、
村積山自然公園 花園の里に 奥殿陣屋があります。

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奥殿藩は、徳川家のルーツ-松平の郷-に程近い、一万六千石の親藩でした。

奥殿松平家の初代真次は、徳川秀忠の家来として 大坂の陣にて活躍して
上野国二領地を与えられ、希望して三河の地に国替えされ、
二代乗次の時大給藩に、四代乗真の時に奥殿に陣屋に移して
奥殿藩が誕生しました。

現在は、流渓院庫裡となっていた書院を移して復元した建物の他、
書院の本庭を 古図をもとに江戸初期の作風を活かして
復元した蓬莱の庭、その庭を眺めて
食事を頂ける金鳳亭、資料展示室、歴代藩主の廟所があります。
入園は無料でのんびりと散策が楽しめます。

書院
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書院では蓬莱の庭を見ながらお茶を頂け、
金鳳亭では、筍ご飯(春)笹寿司(夏)松茸ご飯(秋)五目御飯(冬)
と 季節の御飯が頂けます。

金鳳亭

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御昼時を過ぎかけており、
数量限定の茶そば付で松茸ご飯・栗おこわのセット(同1000円)は
売り切れで、
松茸ごはん(1000円)にデザートの京風くずきり(ご飯とセットなら200円)
を頂きました。

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蓬莱の庭が眺めながらの室外の縁側の席にて、
何品かの副菜・香の物・デザートも付いて
とても幸せな気分になるお食事で 美味しく頂きました。

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蓬莱の庭

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花園の里は、秋色真っ盛り。 コスモス、ススキ、秋バラ等
が目を楽しませてくれます。

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帰りは 東岡崎行き のバスで、岩津天神口 で降りて、
東岡崎駅校内の案内看板で何度か見て行ってみたかった
 

[岩津天神]さん に向かいます。

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ちょうど[筆まつり]が行なわれている様で、太鼓の音が出迎えてくれます。
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坂道を上がっていくと、神橋が見えてきました。 
あと一息かなと思ったけれど甘かった!
神橋の欄干には 天神様の御遣いの願掛け撫で牛が鎮座。
牛を撫でてお願いをした後、ここから、きつい石段が待っていました。

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太鼓の音は大きくなれども 社殿の御姿はなく 
きつい上りの石段が延々と続き、
息が切れた頃、大きな拝殿が現れました。

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大きな拝殿前には安政6年作の銘がある狛犬があり、
境内には、天神様の御遣いと云われる
牛にまつわるものの ほかにも、変わったスポットが満載です。

撫で牛は、江戸時代後期に奉納されたものだそうです。
願掛け牛を撫でてから
痛い所、悪い所を撫でると効果がある と言われます。

シーズンには、願掛け撫で牛をする受験生で賑わうそうです。
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水かけ牛は毎年恵方の方に向きを変えるとか。
ご神水を掛けて願いを込めます。

うそ塚は、天神様の御遣いの鳥-鷽[うそ]-が、嘘に通じる事から、
ついてしまった嘘や穢れを天神様の力で誠に変えると言われます。

鷽は、学問の神様の-學-に字が似ている事から 
天神様ゆかりの鳥とされているそうです。

いぼとり石は、表面にイボの様な突起がありますが、
これは、小石を持ち帰って祈ると、イボが取れ、そのイボが移った物が 
そのブツブツとした突起物なんだそうです。

厄割り石は、かわらけ と云う 素焼きの器を、厄割り石めがけて投げつけ、
悪いものを断ち切り 新たなる力を授けられると云うものです。
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階段の下にある厠(かわや)神社は、文字通り〝トイレの神様〟です。

この様に、パワースポット・珍スポット満載でしたが、
祭りの人込みや行事の関係で、寄り付けられなかったり 
撮影できなかった所も多く残念でした。


岩津天満宮の縁起によると、
地を揺るがすばかりの一条の雷光と共に芭蕉の葉に乗った
菅原道真公が岩津山に光臨されたのが この社の起こりとの謂れから、
学問の神様は勿論、火防せ、雷除けの神様としての侵攻も
集めているそうです。


又、江戸時代の宝暦年間には、信光明寺の一誉上人が、
江戸へ行く途中で病気にかかり、
天満宮に祈願したところ病はすぐに回復したそうです。

鎌倉の荏柄山天満宮から分霊を勧請し、
初めは信光明寺の観音堂に祀りましたが、
夢枕に立たれた天神様のご神託により、
この地に社祠を建立してお祀りしたそうです。

その為、病気を治す神様として、人々の夢枕に立ちお告げを与え
夢を叶える神様としても知られているそうです。

帰りの道中に、信光明寺への案内板があり、天神様をお参りしても、
ここに参らなば、片参り との事。 
この案内板通りにから、藪の中の小道を下りて行くと、墓地があり、
間違えたかな? と思ったら、お堂が見えてきました。
あとでわかったのですが、
裏手の一段高い墓所は、松平三代 親氏・泰親・信光の墓
だった様です。

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信光明寺は、松平氏三代目の信光公が、
初代・親氏公、二代・泰親公の菩提を弔う為に1451年に建立したお寺です。

音蓮社釈誉上人を開山とし、信光の名をとり信光明寺と名付けられました。
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松平氏は、豊田市の松平地区にある松平郷で力を誇った地方豪族で、
二代目・泰親の時に、 この岩津に進出したのです。

墓地から下りると、1478年(文明10年)に建立された観音堂がありました。
往時壮麗を誇った堂宇は、伊勢新九郎(北条早雲)に放火され消失しましたが、
焼け残った観音堂は室町中期の建築様式を今に伝え、
国の重要文化財に指定されています。
観音堂の屋根の軒先のそりの深さ、総門の屋根に上がっている鬼瓦などは
他では見られないものです。【岡崎観光文化百選の案内板より】



観音堂
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本堂
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案内にあった、先の御話の様に、住職誉上人将軍年頭御礼の為 
江戸へ赴く途中 駿河国で病に倒れた際、近くの芭蕉の天神に祈願したところ
病気も直り無事江戸の御用を済まし帰国できました。
この帰国の時に天神へ寄り、分霊を受けました。
上人は神体(菅原道真公)を彫刻し観音堂にしばらくの間安置するも
山の上(現在の岩津天満宮)へ社殿を造営し
芭蕉天神を祀ったのですが、。明治初期の神仏分離令により、
芭蕉天神御尊体を信光明寺内へ移したものです。

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帰りの 岩津天神口のバス停前 に、
[大黒屋]さん という風情のある古い旅館がありました。
創業明治6年で、裏の建物でビジネス旅館をされている様です。

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玄関の三和土には、三味線とバチがあしらわれ、さりげない粋を感じます。

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バスが来たので、東岡崎で降りて、
今、人気のゆるキャラ 〝オカザえもんグッズ〟が並んでいる
売店にて、〈オカザえもんクッキー〉を購入して 帰途につきました。


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