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東山界隈に日本の念仏の原点の地があった [日本仏教史]

〔日本仏教史〕を学んだ者にとって、
吉水の名は、特別な響きがあります。
その地が、法然上人吉水草庵の旧跡と言われ、
親鸞聖人が念仏の教えを受けた地であるからです。

この日、前日、知恩院さんの宿坊〔和順会館〕さんに留めて頂いた御縁で、
早朝より知恩院さんの阿弥陀堂と御影堂で行われる
「晨朝法要」に参加させて頂き、
法要の後に東山界隈に残る 念仏の原点ともいえる旧跡めぐりをしました。

和順会館
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「晨朝法要」の案内
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法要後に精進料理をいただきました。
ピュアでクオリティの高い精進料理の朝食は、心地よく身体に浸みわたります。
銀餡をかけて食べる白粥、出汁がきいた湯豆腐にも感激。

朝食DSC_0008.JPG

名物のおつけもののバイキングは、
京都ならではの味が、少しずついろんな種類楽しめました。
朝食1-1スタンドDSC_0080.JPG



知恩院さん界隈は、法然上人の足跡が多く残されています。

30年にわたる比叡山の修業にても、真の魂の救済方法を得る事がならなかった
法然上人は、ある時、唐の善導大師の「観無量寿経疏」中から、
「南無阿弥陀仏」の念仏をひたすら信じ唱える専修念仏の信念を得られました。

そして南都諸宗・真言・天台の難解な経典や厳しい修行の道を捨て、
山を下りた上人は、この地に草庵を結び、阿弥陀仏を拝み、
ひたすら念仏を唱える念仏道場とされました。

吉水の名は、良い水が湧き出ており、その水を「吉水」と呼び、
草庵は「吉水禅坊」とよばれ、土地の名にもなりました。

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親鸞上人も、比叡山から六角堂の救世観世音菩薩さまに
百日間参詣した際に、その霊告を受けて法然上人の門下となり、
この吉水にて教えを受けられたのです。
1201年の事でこの時 親鸞29歳、法然69歳であったと云われています。

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円山公園から東山の方に上って行くと、安養寺さんの山門が見えます。
また門前に「まくずがはら よし水庵室」と書かれた古い碑柱が建っていますが、
法然上人が讃岐に流されるまで、三十数年間にわたり念仏をひろめられて、
庶民の救済に力を注いでおられた、「吉水草庵」の旧跡です

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石段の脇は、墓地となっており、登りつめた先に本堂があり参拝をしました。

本堂には正面真ん中に、吉水草庵と書かれた額が掲げられ、
法然上人ご念持仏 弥陀三尊を安置されています。

そして、右に法然上人、左に親鸞聖人信決定御満足の像が安置されていますが、
親鸞像は、百万人の縁者の名をしたためた紙を燃やした灰を混ぜて作られた
と云われています。

本堂外観
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本堂の向かって左手側には、とても穏やかなお顔立ちで優しいお姿をされた、
花崗岩製の阿弥陀石仏がおわしました。

高さ1.5mの舟形光背をつくり30㎝の蓮華座を儲けて90㎝の阿弥陀像を厚肉彫りした
もので、鎌倉時代の特徴を示す優れた石仏であると後で調べて知って納得です。

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この石仏さんを写真に撮っていた御縁で、早朝の清掃に出て来られたご年輩の
男性に、「洞窟を知っておるかね?」と尋ねられ、勿論、知らない私と家人は
幸運にも、案内をして頂ける事になりました。

「足元がよくないから気を付けて」との事で、細い上り坂をついていくと、
法垂窟(ほーたるのいわや)と刻まれた石碑がありました。
何でも、ここは、法然上人が専修念仏の教えを悟り、広めようとした場所であるそうです。

まさに、日本における念仏発祥の地と云えますね。

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石碑の北側には洞窟があり、三体の石仏が祀られておりました。
三体の石仏は、善導大師、法然上人、親鸞聖人とのことです。

頭を打たない様に、身を低くして中に進み、先ずは合掌。

案内をして下さいました方が、
「70年近くこの辺りに居ても、初めて知ったと云われる人もおるでな」
とおっしゃった様に、思わぬ御縁に感謝・感激です。

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窟は、奥ゆきはなく、下には水が湧いています。
水 とは法垂窟に涌く 「 吉水 」 のことであり、
法然上人の念仏の教えが現在まで受け継がれてきたかの如く、
今も脈々と水が湧き続けているのです。

それは、洞窟内は勿論、辺り一帯がきれいに掃除がなされ、花がきちんと
活け替えられているなど、大切にされてきたおかげであると思われます。

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洞窟の上には、「真葛が原のご対面」が描かれたレリーフが貼ってあります。

昔、この一帯を真葛が原と言いましたが、ある日、法然上人がお念仏を称えて
おられますと、音楽と共に良い香りがして紫の雲に乗った善導大師様が
お現れになり、法然上人を励まされたそうです。
善導大師様は中国浄土教の僧で、「称名念仏」を中心とする
浄土思想を確立された方です。

その時の善導大師様のお姿は下半身が金色でした。
これを「真葛が原のご対面」と云います。

―洞穴の上に「真葛が原のご対面」が絵かが嗄れたレリーフがある―

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日本における専修念仏発展の原点となった地を訪れる事ができた事に、
改めて感激ひとしおです。


ところで、法然上人流罪後安養寺を復興されたのが、
親鸞聖人のお得度の師でもある
慈鎭和尚〔のちの慈円〕で、自分の法華懺法を修する専門道場「大懺法院」を
この地に移し、吉水に熾盛光堂を造営しています。

そして、吉水禅坊を「慈円山大乗院安養寺」と号し、
これが現在の安養寺の寺名の始まりになります。
円山公園の名前も、慈円山からつけられたそうです。

親鸞聖人は幼くして両親を失い、9歳で青蓮院の慈鎮和尚〔のちの慈円〕
のもとで得度をしています。
親鸞聖人が得度された場所は、青蓮院の宸殿に〔親鸞聖人得度の間〕
として残されています。

青蓮院前の石碑
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宸殿内〔得度の間は写真撮影禁止〕
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宸殿外観
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春の夕方、暗くなる頃に青蓮院を訪れた松若丸(のちの親鸞聖人)に、
慈鎮和尚(後の慈円)は、 
「今日は遅いから明日にしましょう」と言われました。
          
その時に松若丸は、
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」 
と無常観を詠まれたと伝えられています。
その志に打たれた慈鎮和尚は、
その日のうちに松若丸を剃髪し得度式を執行したと伝えられています。

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得度した親鸞の剃髪が奉られているといわれる植髪堂(うえがみどう)が、
青蓮院境内の北側にあります。
得度の時に剃り落とした髪を、親鸞童形の像に植えたものを祀っておられます。
得度の際に使われたという角盥(たらい)も収められています。


植髪堂

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また、その髪の一部は植髪堂横の遺髪塔に納められています。

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植髪塔の傍らには、鹿の石像が建てられています。
塔の建立の際に、一頭の鹿が山から下りてきて等の前から離れなかった
という話に基づいて建てられています。

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ひときわ目を引く青連院門前のクスノキの巨木は、樹齢800年で、
親鸞聖人の御手植えと云われています。

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慈円は天台座主でありながら、
比叡山を下りて新興宗教を興した法然や親鸞にも理解を示し、
叡山の圧力から庇護をしました。
その為、青蓮院の境内には親鸞聖人にまつわる旧跡が
この様にたくさん残っているのです。










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