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スローフードと共にゆったり 中山道垂井宿 [宿場町]

南宮さんから朝倉山真禅院さんまで上って垂井駅に戻ってきた頃には、
一時近くなっていてお腹はペコペコ。  
垂井=竹中半兵衛公 駅前の像と御対面。

17垂井駅P3220167.JPG

垂井駅からすぐの店はお休み、ランチのとれそうな駅周辺のお店は日曜休み、
南宮さんの参道脇のお店で済ませておかなかったのを後悔する、
ランチ難民状態となり、駅構内のポテトやおにぎりの自販機が最後の選択肢か
・・・と腹をくくった時に、
何とか、営業されているお店に行当り、ホッとしました。

[食彩 いわさき]さん です。 
スローフードというコンセプトで主にお野菜が自慢料理とされているせいか、
満席に近い店内は、御高齢の方がまったり過ごされていました。
私達の為に、先に座られていた方が、相席で移動して下さり、
腰を下ろす事ができました。

皆さん、
700円のランチの様で、「肉じゃがとかです」とのザックリしたメニューの
御説明でしたが、空腹ゆえ迷わずオーダー致しました。

お盆にてセットの先発が運ばれ、その後、分けて追加を運んで下さいました。

ランチP3220171食彩いわさき.JPG

出来たての野菜料理や地元の麩入り味噌汁はお腹に優しく、
〝あったかいんだからぁ♪〟正しく スローフードを実感できました[黒ハート] 
えっ! まだ頂けるの?という位に 品数は増え、最終的に8品になりました。
豆御飯が炊きあがったのでお替りまで、「いかがですか?」と御親切にも聞いて
下さいましたが、ここまでで充分満足でしたので、有難くお気持ちだけ頂きました。

ランチP3220173食彩いわさき.JPG

食後のおいしいコーヒーも付いて大満足。 とってもお値打ちですよ。

ランチP3220176食彩いわさき.JPG


腹ごしらえを済ませ、元気を回復し垂井宿辺りを散策しました。


街角で目にするのは 
非公認 垂井のためにゃん 平塚為広公がモデルとは 
目の付け所が 渋い!

平塚為広公は、大力でナギナタの名手として知られ、関ヶ原の戦いにて
石田三成に与した盲目の大谷吉継公の片腕として参戦しました。
予想していた小早川秀秋の裏切りにも奮戦するも 
秀秋に続いて東軍に呼応した小川祐忠の配下の武将に討たれて果てました。

「名のために棄つる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思へば」
という辞世の句は、死の直前に大谷吉継に贈ったもので、吉継も
「契りあれば六つの衢(ちまた)に待てしばし 遅れ先だつことはありとも」
と返したと云われ、主従の信頼の深さを物語った話として知られています。

幾人かの著名人の御子孫、女性運動家の平塚らいてうさんが特に知られていますね。


12垂井のためにゃんP3220177.JPG

相川橋のたもとに東の見附跡があります。 ここが垂井宿の東の入り口となります。
相川の人足渡し跡の表示があり、村人により川の渡しが行われていた事を窺わせます。

相川橋
8-P3220088相川橋.JPG

ここ相川水辺公園一帯には樹齢50年以上のソメイヨシノ約200本が咲き乱れるそうです。
脇を流れる相川の上を約300匹の鯉のぼり遊泳、相川橋から眺めました、見応えありますね。
7-P3220089相川橋.JPG
4-相川橋P3220184.JPG

道の傍らに本陣跡の碑が建てられています。 
本陣を務めたのは栗田家さんでしたが、178坪の本陣建物は安永9年(1780)に焼失し、
再建された建物も明治期に解体されました。

垂井宿本陣跡
垂井宿本陣跡P3220101宿場町.JPG

垂井宿本陣跡P3220190宿場町.JPG


丹波屋さんは、本陣跡の向い側には、松井家さんが営む大正元年に建てられた
料理屋;丹波屋さんがあります。
1836(天保7)年の浪速講道中記に「たんばや幸助」と記されている様に、
江戸時代は旅籠だった様です。

屋根の下の鬼瓦にはWATERと英語で刻まれている粋な感じの玄関です。

丹波屋P3220189宿場町.JPG

丹波屋P3220099宿場町.JPG


亀丸屋さんは、垂井宿の旅籠屋として二百年程続き、
今も当時のままの姿で営業されています。
安永6年(1777)に建てられ、間口五間・奥行6.5間の母屋と離れに上段の間を
含む八畳間が3つあり、二階には鉄砲窓が残ります。
かつて、浪花講、文明講の指定旅館であったそうです。

亀丸屋P3220096宿場町.JPG

亀丸屋P3220097宿場町.JPG

蔵も残る風情が素敵です。
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南宮大社の石鳥居は、中山道沿いに建てられています。
徳川家光公の寄進により南宮大社が再建された際、明神鳥居が約四百両の金で、
石屋権兵衛氏により建てられました。
横幅454.5㎝、頂上までの高さ715㎝、柱の周り227㎝の大鳥居です。
正一位中山金山彦大神の額は、延暦寺天台座主青蓮院尊純親王の筆跡だそうです。

この石鳥居付近では、かつて六斎市が開かれ、大勢の人々で賑わったそうです。

1-P3220192南宮大社石大鳥居.JPG



街道に戻ると古民家のお休み処が目に入りますが、
ここは旧旅籠の長浜屋さんです。
築二百年以上の建物ですが、明治22年に東海道線が開通し、
中山道を通る旅人が激減すると旅籠を止めて酒屋となり、
平成10年頃まで営業されていましたそうです。

その後、取り壊される寸前に、歴史と文化を守る会が管理する事に
決まったのだそうです。

垂井宿お休み処P3220115宿場町.JPG

垂井宿お休み処P3220219宿場町.JPG


紫雲閣の収められている倉の前を通ると、
4月4日・5日の八重垣神社の祭礼である 垂井曳山祭に出される曳やまが、
これに向けての御準備の光景に出くわしました。

この垂井町中町所有の「紫雲閣」は、明治初期にその藤岡和泉氏によって
作製された曳やまだそうで、複雑な亭を有する独特の構造は「動く聚楽第」
と云われ、優雅さを感じます

御祭の当日は、もっと煌びやかで美しく素晴らしいでしょうね。
桜も咲いてる事でしょうし。

紫雲閣 
紫雲閣1-P3220111紫雲閣.JPG

紫雲閣3-P3220112紫雲閣.JPG

紫雲閣P3220199紫雲閣.JPG

国の登録文化財小林家の主家は、油屋を営んでいた宇吉家さんから
小林家さんが譲り受けたもので、昭和初期まで『亀屋』の屋号で
旅籠を営んでいました。
幕末の豊かな商家にふさわしい品格と、二階の袖ウダツ、
庇下の濡れむしろ掛け等の防火対策が残された貴重な建物です。

小林家住宅主家P3220207宿場町.JPG
小林家住宅主家P3220206宿場町.JPG


油屋さんの対面に、太鼓楼が目を引く立派なお寺があります。
東光山本龍寺です。元は天台宗でしたが、今は浄土真宗のお寺です。
江戸時代、このお寺の前に高札場があり、「キリシタン禁止、人馬賃」等
6枚の制札が掲げられていたそうです。
 
明治11年、明治天皇が東海北陸御巡幸の折、お休みになったところで、
寛永11年間に徳川家光も当地を通行の際休憩しています。

門や元の書院の玄関は、明治初期に金岩脇本陣のものを移築したと伝えられています。

本龍寺の山門は脇本陣から移築

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本竜寺の住職玄潭と芭蕉は親交が深く、元禄4年に芭蕉は当寺で冬篭りしています。
この間に幾つか句を詠んでおりますが、境内の一角、美濃派ゆかりの俳人らの
句碑を建てた作り塚の中の芭蕉句碑にその一つが刻まれています。

 作り木の 庭をいさめる しくれ哉   はせを翁
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石鳥居を少し南に進みますと、玉泉寺いう寺の門前に樹齢約800年と云われる
大ケヤキがあり、その根元からこんこんと湧き出る泉があります。

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天下の名泉として親しまれる垂井の泉です
垂井の地名の起こりとされる泉で、時を経ても日照りでも枯れる事無く、
古くから旅人や地域住民に親しまれてきた泉です。

33垂井の泉P3220235.JPG


「東路に名たかき泉三あり 其三つといふは近江国坂田郡醒井泉 
美濃国多芸郡養老泉 同国不破郡垂井泉 是なり 其水を試し人のいひけるは 
養老は醒井にまさり 垂井はまた養老にまさりぬといえり」


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