お寺のような神社 安八・神戸(ごうど)の日吉神社 [パワースポット]
清須の日吉神社と同様、安八・神戸(ごうど)の日吉神社も、
神の使いの猿の姿が見られます。
特にこちらは、見ざる(猿)、言わざる(猿)、聞かざる(猿)、の三猿です。
この神社はを見て回ると、三重塔、観音菩薩像、地蔵菩薩像などの、
大凡のお寺に見られる物がたくさんあります。
日吉神社は、弘仁八年(817年)に伝教大師最澄が創建したと伝えられる神社で、
近江坂本の日吉大権現を主神として7柱の神を祀り、往時は社僧八坊を有し、
叡山と共に栄えてきました。
室町後期にできた三重塔は日吉神社の象徴ともいえる建物です。
元々は、神仏混淆垂迹の思想に基づき平安時代に建立されましたが、
現存する塔は斎藤利綱が再建して稲葉一鉄が修造したとの棟札が
神護寺善学院に残っています。
相輪頂上までの高さ24.6m、各階の平面が小さく、そのぶん軒が深く感じられ
見上げた時に各階が か細く見えます。
十一面観世音菩薩像は像高は27cm、藤原時代の様式をもち、胡粉(ごふん)地
に極彩色の施された観世音菩薩坐像です。
穏やかな面貌、豊かな胸の肉の彫りは浅く、肩から背部、両腕への流麗な線、
衲衣の波状紋の線、うすい膝、何れも藤原期の彫刻の特徴を象徴している逸品
と云われます。
地蔵菩薩像は像高は34.7㎝である、極彩色の名残が多く残っており、
僧衣の紋様が胴や裾の一部にその跡が見られます。
顔や首、右手の一部には彩色が残っているのが明らかで、
往時の優美さが偲ばれます。
日吉神社玉垣中央石段の左右にある日吉神社 百八燈 は、左右合わせて
百八の燈明が点くので百八燈と呼ばれています。
元来百八燈は寺院の内陣の境等にあるもので、神社の社前にある物は
珍しいのだそうです。
中に安置してある燈明台は縦125cmの中心の骨に左右に五本宛が出て、
この腕に燈明皿を受ける丸い輪がついて、一基で54枚の燈明皿が
乗る様にできています。
日吉神社がお寺のようである理由は、その歴史にあります。
弘仁八年(817年)、伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に東山道を
通られた折、神戸の地に立ち寄られました。
当地の郡司・安八太夫安次は大師の教えに帰依しました。
そこで伝教大師は安次の懇請に応じて影向山(ようごうさん)神護寺善学院を建て、
近江坂本・日吉神の四柱の神を勧請し、日吉神社創建されました。
その後、40余年を経た貞観三年(861年※)、大師の弟子の慈覚大師(円仁)が
伝教大師の足跡を慕って神戸の地に寄られ、日吉神社へ三柱の神を勧請されました。
伝教大師が四柱、慈覚大師が三柱、合わせて七柱の神々が勧請されて祀られ、
今日まで山王七社として奉幣されてきました。
当時は神仏は一体であるという神仏習合説がとられました。
この考え方により明治時代を迎え神仏分離令が出されるまで、
善学院が神社の別当寺として運営に携わってきました。
その隆盛は、鳥居から拝殿へと続く参道に並ぶ坊跡の石標に伺われます。
中之坊址
十光坊址
福泉坊址
まだまだ たくさん建っています。
そして、参道の両側は水路となり、水野都の名に違わぬたっぷりの水が流れ
ていますので、子供達がタモ網を使って魚を獲ったりしています。
先回の当ブログの、清須の日吉さんと同じ様に、産石(うまいし)があります。
こちらは、牛石と書いてあります。
産石―午石、牛石で一対という訳ですね。
本殿前の狛犬一対は、県内唯一の国重文の指定を受けた石造狛犬です。
(ただし複製で実物は収蔵庫に保管されています)
収蔵庫
西保城主・不破河内守光治の寄進になるもので、吽形狛犬の前左趾外側に
「天正五丁丑季(1577年)5月吉日」、阿形狛犬の右趾外側に
「不破河内守光治造立」と彫ってあります。
不破河内守光治は、天正5年当時は、西保城主であり、織田信長に仕えて、
稲葉一鉄らと共に「西美濃四人衆」と称された武将です。
全体に縦長で像高74㎝笏谷(しゃくだに)石を用い、たてがみは流れる様な
線をなしており、簡素であるが垢抜けた力強い彫刻です。
鎌倉時代の石造狛犬に比べて、天正年間のものは
「全体に簡略な形態をなして、丸みを帯びた優しい感じを受ける」
「神に祈るような姿を感じさせる」
とも 云われています。
拝殿は、再来年2017年に行われる千二百年祭に向けて建て替え中。
県重要文化財に指定されている本殿は、寛永七年(1630年)尾州候の寄進に
よるもので、日吉神社の主神・大己貴神をお祀りしています。
寛永七年庚午霜月8日 尾張松平大納言」の棟札が残っています。
尾張藩初代徳川義直公の寄進によるもので、檜皮葺、流れ造り、朱塗りの社殿は、
江戸初期の社殿建築の代表的な建物として貴重です。
境内には、摂社、末社が建ち並びます。
宇佐宮
二宮
樹下宮
大山咋大神を祀る 牛尾の宮
三宮
日吉神社の庭
日吉神社の山王祭に因んだ、火まつり の庭と石舞台の庭があります。
大鳥居近くの日吉神社御旅所には、山王まつりの様子がパネルで紹介されています。
宇佐の宮神輿
牛尾の宮神輿
商店街は趣あるものの食事処は見当たらず
昼食の時間になり、神社の近くでお店らしきところが見つからず、
近鉄広神戸駅駅近くにある「ハニーコルシカ」さんに入りました。
一見、普通の喫茶店ですが、セット・定食メニューは充実!
750円で、ボリュームたっぷりのオムライスに、サラダとコーヒーが付きます。
900円のハンバーグ定食は、大きめのハンバーグに なんと目玉焼きが二つ乗っている。
お腹が空いた時には、特に嬉しいですね。
そして、みそ汁のお麩の数にびっくり。太っ腹ですね!
みそかつ定食900円で驚くのは カツの分厚さ!2センチ近くあるかな?
喫茶店のレベルとは思えない本格的なおいしさ。
想像以上の満足感が味わえました。
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神の使いの猿の姿が見られます。
特にこちらは、見ざる(猿)、言わざる(猿)、聞かざる(猿)、の三猿です。
この神社はを見て回ると、三重塔、観音菩薩像、地蔵菩薩像などの、
大凡のお寺に見られる物がたくさんあります。
日吉神社は、弘仁八年(817年)に伝教大師最澄が創建したと伝えられる神社で、
近江坂本の日吉大権現を主神として7柱の神を祀り、往時は社僧八坊を有し、
叡山と共に栄えてきました。
室町後期にできた三重塔は日吉神社の象徴ともいえる建物です。
元々は、神仏混淆垂迹の思想に基づき平安時代に建立されましたが、
現存する塔は斎藤利綱が再建して稲葉一鉄が修造したとの棟札が
神護寺善学院に残っています。
相輪頂上までの高さ24.6m、各階の平面が小さく、そのぶん軒が深く感じられ
見上げた時に各階が か細く見えます。
十一面観世音菩薩像は像高は27cm、藤原時代の様式をもち、胡粉(ごふん)地
に極彩色の施された観世音菩薩坐像です。
穏やかな面貌、豊かな胸の肉の彫りは浅く、肩から背部、両腕への流麗な線、
衲衣の波状紋の線、うすい膝、何れも藤原期の彫刻の特徴を象徴している逸品
と云われます。
地蔵菩薩像は像高は34.7㎝である、極彩色の名残が多く残っており、
僧衣の紋様が胴や裾の一部にその跡が見られます。
顔や首、右手の一部には彩色が残っているのが明らかで、
往時の優美さが偲ばれます。
日吉神社玉垣中央石段の左右にある日吉神社 百八燈 は、左右合わせて
百八の燈明が点くので百八燈と呼ばれています。
元来百八燈は寺院の内陣の境等にあるもので、神社の社前にある物は
珍しいのだそうです。
中に安置してある燈明台は縦125cmの中心の骨に左右に五本宛が出て、
この腕に燈明皿を受ける丸い輪がついて、一基で54枚の燈明皿が
乗る様にできています。
日吉神社がお寺のようである理由は、その歴史にあります。
弘仁八年(817年)、伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に東山道を
通られた折、神戸の地に立ち寄られました。
当地の郡司・安八太夫安次は大師の教えに帰依しました。
そこで伝教大師は安次の懇請に応じて影向山(ようごうさん)神護寺善学院を建て、
近江坂本・日吉神の四柱の神を勧請し、日吉神社創建されました。
その後、40余年を経た貞観三年(861年※)、大師の弟子の慈覚大師(円仁)が
伝教大師の足跡を慕って神戸の地に寄られ、日吉神社へ三柱の神を勧請されました。
伝教大師が四柱、慈覚大師が三柱、合わせて七柱の神々が勧請されて祀られ、
今日まで山王七社として奉幣されてきました。
当時は神仏は一体であるという神仏習合説がとられました。
この考え方により明治時代を迎え神仏分離令が出されるまで、
善学院が神社の別当寺として運営に携わってきました。
その隆盛は、鳥居から拝殿へと続く参道に並ぶ坊跡の石標に伺われます。
中之坊址
十光坊址
福泉坊址
まだまだ たくさん建っています。
そして、参道の両側は水路となり、水野都の名に違わぬたっぷりの水が流れ
ていますので、子供達がタモ網を使って魚を獲ったりしています。
先回の当ブログの、清須の日吉さんと同じ様に、産石(うまいし)があります。
こちらは、牛石と書いてあります。
産石―午石、牛石で一対という訳ですね。
本殿前の狛犬一対は、県内唯一の国重文の指定を受けた石造狛犬です。
(ただし複製で実物は収蔵庫に保管されています)
収蔵庫
西保城主・不破河内守光治の寄進になるもので、吽形狛犬の前左趾外側に
「天正五丁丑季(1577年)5月吉日」、阿形狛犬の右趾外側に
「不破河内守光治造立」と彫ってあります。
不破河内守光治は、天正5年当時は、西保城主であり、織田信長に仕えて、
稲葉一鉄らと共に「西美濃四人衆」と称された武将です。
全体に縦長で像高74㎝笏谷(しゃくだに)石を用い、たてがみは流れる様な
線をなしており、簡素であるが垢抜けた力強い彫刻です。
鎌倉時代の石造狛犬に比べて、天正年間のものは
「全体に簡略な形態をなして、丸みを帯びた優しい感じを受ける」
「神に祈るような姿を感じさせる」
とも 云われています。
拝殿は、再来年2017年に行われる千二百年祭に向けて建て替え中。
県重要文化財に指定されている本殿は、寛永七年(1630年)尾州候の寄進に
よるもので、日吉神社の主神・大己貴神をお祀りしています。
寛永七年庚午霜月8日 尾張松平大納言」の棟札が残っています。
尾張藩初代徳川義直公の寄進によるもので、檜皮葺、流れ造り、朱塗りの社殿は、
江戸初期の社殿建築の代表的な建物として貴重です。
境内には、摂社、末社が建ち並びます。
宇佐宮
二宮
樹下宮
大山咋大神を祀る 牛尾の宮
三宮
日吉神社の庭
日吉神社の山王祭に因んだ、火まつり の庭と石舞台の庭があります。
大鳥居近くの日吉神社御旅所には、山王まつりの様子がパネルで紹介されています。
宇佐の宮神輿
牛尾の宮神輿
商店街は趣あるものの食事処は見当たらず
昼食の時間になり、神社の近くでお店らしきところが見つからず、
近鉄広神戸駅駅近くにある「ハニーコルシカ」さんに入りました。
一見、普通の喫茶店ですが、セット・定食メニューは充実!
750円で、ボリュームたっぷりのオムライスに、サラダとコーヒーが付きます。
900円のハンバーグ定食は、大きめのハンバーグに なんと目玉焼きが二つ乗っている。
お腹が空いた時には、特に嬉しいですね。
そして、みそ汁のお麩の数にびっくり。太っ腹ですね!
みそかつ定食900円で驚くのは カツの分厚さ!2センチ近くあるかな?
喫茶店のレベルとは思えない本格的なおいしさ。
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指ではじくだけで肩の痛みが治る!―江戸の秘術から生まれた凄ワザ
- 作者: 福富章
- 出版社/メーカー: 自由国民社
- 発売日: 2015/12/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)