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木下藤吉郎出世の地 —墨俣一夜城 [三英傑 パワースポット]

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一夜城の存在そのものが、疑問視されていた中、愛知県江南市の吉田家より
代々伝わる前野家古文書の中から、墨俣一夜城に関する貴重な資料が
発見されました。
これにより、墨俣一夜城の存在が裏付けられ、全容が明らかにされました。
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前野氏はこの地の有力者で、戦国武将としては織田信長・豊臣秀吉に仕えて活躍した
前野将右衛門長康がよく知られています。
特に秀吉には蜂須賀小六とともに墨俣築城の頃から仕え、秀吉の天下統一に
大きく貢献しまた。豊臣秀次の重臣として支えるも、秀次に謀反の疑いがかけられ、
事件に連座して長康は切腹しました。


謀反人の汚名を着せられ、一族は吉田に姓を変えてこの地で帰農して百姓となり、
現在に至ります。吉田龍雲氏の土蔵が昭和34年の伊勢湾台風で被害を受け、
その整理をしていたころ、先祖の茂平次が書き残した「武功夜話」をはじめ
多くの古文書が発見され、いろいろなことが解明されたそうです。

前野屋敷ー江南市観光協会ホームページより
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一夜城のいわれは、「一夜城跡」碑文 に詳しく書かれています。

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今川義元を桶狭間で破り、尾張を平定した織田信長は美濃進出の足場とするため
要所の地「美濃路の墨俣」に砦を築こうとしました。
佐久間信盛、柴田勝家などの部将に命じましたが、いずれも築城に
失敗し信長は怒ります。
永禄九年五月の老臣会議で、末席にいた木下藤吉郎が難工事を進んで引き受けました。
同年九月に、蜂須賀小六、前野将右衛門らの協力を得て、総勢2,140人で
築城に着手しました。

二,三千人を率いて大小の長屋十棟、櫓十棟、塀二千間、木柵五万本分、を
人夫一千人を使い夜を日に次いで普請を急がせた結果、七日程度にて大方城も出来、
一夜の内に塀櫓を押し立て塗り立て完成したように見せかけたので 
攻撃中の井之口の斉藤龍興の兵八千余騎は驚いて敗走しました。

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信長はこの城を拠点にして、翌十年に斉藤龍興が守る稲葉山城を攻略し、
長年の念願の美濃国を手中にしました。
                     
この功績から藤吉郎は足軽頭から墨俣城を預かる部将にとりたてられ、
太閤出世物語の出発点になったところで、一夜城とし夜に名を残した砦跡です

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藤吉郎の馬柵が復元されています。その説明版には、
「永禄九年(1566)九月墨俣城において斉藤勢の騎馬を防ぐため、
地上高さ一間、地中三尺。 松檜材を藤つるで二重に巻きて縛り、
城の周囲を二重に、総延長千八百間(3,300m)めぐらせた」とあります。

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現在建てられている墨俣城は、墨俣の砦とは全く異なる観光用の天守閣です。
史実にもとづいたものとは全く違いますが、城の形をした資料館となっております。

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3月下旬から4月上旬には、犀川の堤防の桜並木が見ごろを迎え、
藤吉郎の出世のパワースポットは、桜の花に包まれます。

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