大阪玉造 真田丸跡を散策して幸村ロードでランチ [戦国・パワースポット]
NHK2016年大河ドラマ【真田丸】の跡を巡る 私共の旅は、
JR環状線玉造駅より始まります。
真田幸村こと、真田信繁が築いた真田丸の有った辺りへは、
幸村ロードを通り抜けて西に向かいます。
六文銭の真っ赤な旗指物がはためき、真田幸村公に因む
特別メニューやお土産を提供されている飲食店が並んでいます。
真田十勇士のパネル人形が出迎えます。
猿飛佐助、霧隠才蔵、由利鎌之助、三好清海入道、穴山小助、根津甚八・・・
NHKの真田十勇士の人形劇を見ていた世代の私としは、
懐かしい名前が並びます。
駅より朝に通った時には、人影が無く店も閉まっておりましたが、
散策帰りには、お店が開き始め、少し早めの昼食をとる事にしました。
大枡さんの真田御膳-幸村の家紋・旗印である六文銭に因み、
刺身やてんぷら、煮物や和え物といった6種の日替わりのおかずがセット
になった写真に心惹かれました。
予約されていたらしき方が入店されましたが、通常開店まで30分以上ある為、
もう一つ気になっていた、お好み焼きやさんの[風の街]玉造店さんへ。
大阪千林発祥のお好み屋さの名店ですが、この店限定の真田十勇士玉があるとか。
幸村ゆかりの歴史散歩の後なら、やはり「真田十勇士玉」じゃなくては・・
牛肉・豚・イカ・タコ(冬季はカキ)・チーズ・モダンそば等、
真田十勇士をイメージした10種の具材を混ぜ込んだボリュームたっぷりの
名物メニューです。
オーダーすると、店員さんが手際よく鮮やかな手付きで掻き混ぜながら、
熱くなった鉄板に種を少し落とし、タイミングを見て全て形を整え鉄板の上へ
ひっくり返すタイミングは壁の砂時計が落ちた頃と、言われました。
生地をひっくり返したら、砂時計もひっくり返し落ちるのを見て、
ソースを塗り、青海苔や鰹節、そして、マヨネーズを
トッピングして出来上がり。
熱々のお好み焼きには、やっぱりこれがよく合います。
玉造駅から10分も掛からないうちに、宰相山公園にある三光神社が見えてきます。
今が旬なだけあって、小雨にも関わらず、多くの参拝、見学者のほか、
ガイドさんによるツアーの参加者の姿も見られます。
この三光神社には、仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命が祀られています。
「三光さん」は中風封じの神、桜の名所として知られているほか、
大阪城と地下道で繫がっていると伝えられる「真田の抜け穴」の跡が
大河ドラマ「真田丸」により、脚光を浴びています。
現在、抜け穴は通り抜けできませんが・・・
11月の真田まつりには、抜け穴が開放されるそうです。
この抜け穴の脇には真田幸村の陣中での指揮姿の銅像が建っています。
旗指物のミニチュア(1000円)を買いました。
真田山は、宰相山とも呼ばれますが、名前の由来は
前田宰相利常公から来ているとか。
加賀・前田隊が、大坂冬の陣の陣地を、この山から見渡せたそうです。
その真田山の丘の麓、三光神社の直ぐ近くに、
真田丸の戦いの戦死者を祀る善福寺さん(どんどろ大師)は、
宝暦二年(1752年)3月に高野山岩本院法資法道が
大坂の陣の戦死者の霊を弔う為に創建されたと謂れます。
この寺の有った付近は、大坂冬の陣において、真田丸が築かれた辺りで
激戦地だった為、戦死者が多かった置思われます。
どんどろ大師さん
勝軍地蔵さん
身体の悪い所を撫でると良くなります。
現在の大阪明星学園辺りに、大坂冬の陣の際、真田幸村が築いた
「真田丸」があったとされ、石碑には大阪城天守閣が監修した
「真田丸」に関する史料が記されています。
真田丸の跡地は、大阪明星学院のグランドに姿を変えています。
道路を挟んで向かい側に、興徳寺さんの山門が見えます。
行基によって造られたと云われる歴史の古いお寺で、
真田丸の戦いも見詰めていたのでしょう。
外壁越しの高さ33尺の大きな 准提観音様のお姿に目を奪われます。
手入れの行き届いた、素敵なお庭の奥に、おわします
さらに、北隣の心眼寺さんは、大坂夏の陣で命を散らせた真田信繁と
その子大助の供養の為に、真田家の祖先滋野氏が江戸時代に建てた寺です。
境内には、信繁の四百回忌に際して建立された墓碑があります。
心眼寺さんの門には門扉に 真田家の旗印・家紋の六文銭があしらわれておりました
真田丸は、東西210m、二つに分かれていたと謂れます。
心眼寺の由緒書きによると、ここ心眼寺が東端との事です。
その西に210m行きますと、そこには幸村が戦勝祈願したとされる
鎌八幡神社が見えてきます(撮影禁止の為、外観のみです)。
鎌を打ち込む事で悪縁を絶つ、と古くから信仰を集める榎の霊木がある寺院です。
大坂冬の陣の際、幸村も「鎌八幡大菩薩」と唱えながら鎌を打ち込んで戦勝を祈願し、
見事な成果を果たしました。
御神木の西側から寺の北側まで続く石垣は、真田丸の名残りではないか?
と謂れています。
最後に北に向かい、玉造稲荷さんをお参りしました。
豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けました。
戦国時代の戦火で荒廃しましたが、1603年に豊臣秀頼により社殿が再建されました。
元和元年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年に徳川幕府の大坂城代や
氏子らの寄進によって再建されたとの事。
現在の「玉造」の社名は、一帯が古代、勾玉などを作っていた
玉作部の居住地で有ったという伝承から付いた地名によるそうです。
この神社は、豊臣秀頼にゆかりにある見所が多く見られます。
豊臣家奉納鳥居 は、 豊臣秀頼により社殿が再建された時に奉納された石鳥居です。
阪神・淡路大震災により基礎に損傷を受けた為、現在は上部・脚部に分け、
境内に置かれています。
豊臣秀頼公銅像 --は、平成23年10月13日に建立されたものです。
境内にある胞衣(よな)塚大明神は、 - 豊臣秀頼公の胞衣を祀っております。
当初は大坂城三の丸に当たる現在地に胞衣が埋められ、その後は
豊臣家を慕う当地の人々により密かに祀られていたと謂れます。
ここに生えている笹を、夜泣きをする子の寝床の下に敷くと、
霊験あらたかと謂われています。
今回は、大阪冬の陣の真田丸の戦いが行われた辺りを散策しました。
当時のそのままの姿を見る事は出来ませんが、それが又、痕跡を探して
戦国最後の戦に思いを馳せるのも楽しいですね。
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六文銭の真っ赤な旗指物がはためき、真田幸村公に因む
特別メニューやお土産を提供されている飲食店が並んでいます。
真田十勇士のパネル人形が出迎えます。
猿飛佐助、霧隠才蔵、由利鎌之助、三好清海入道、穴山小助、根津甚八・・・
NHKの真田十勇士の人形劇を見ていた世代の私としは、
懐かしい名前が並びます。
駅より朝に通った時には、人影が無く店も閉まっておりましたが、
散策帰りには、お店が開き始め、少し早めの昼食をとる事にしました。
大枡さんの真田御膳-幸村の家紋・旗印である六文銭に因み、
刺身やてんぷら、煮物や和え物といった6種の日替わりのおかずがセット
になった写真に心惹かれました。
予約されていたらしき方が入店されましたが、通常開店まで30分以上ある為、
もう一つ気になっていた、お好み焼きやさんの[風の街]玉造店さんへ。
大阪千林発祥のお好み屋さの名店ですが、この店限定の真田十勇士玉があるとか。
幸村ゆかりの歴史散歩の後なら、やはり「真田十勇士玉」じゃなくては・・
牛肉・豚・イカ・タコ(冬季はカキ)・チーズ・モダンそば等、
真田十勇士をイメージした10種の具材を混ぜ込んだボリュームたっぷりの
名物メニューです。
オーダーすると、店員さんが手際よく鮮やかな手付きで掻き混ぜながら、
熱くなった鉄板に種を少し落とし、タイミングを見て全て形を整え鉄板の上へ
ひっくり返すタイミングは壁の砂時計が落ちた頃と、言われました。
生地をひっくり返したら、砂時計もひっくり返し落ちるのを見て、
ソースを塗り、青海苔や鰹節、そして、マヨネーズを
トッピングして出来上がり。
熱々のお好み焼きには、やっぱりこれがよく合います。
玉造駅から10分も掛からないうちに、宰相山公園にある三光神社が見えてきます。
今が旬なだけあって、小雨にも関わらず、多くの参拝、見学者のほか、
ガイドさんによるツアーの参加者の姿も見られます。
この三光神社には、仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命が祀られています。
「三光さん」は中風封じの神、桜の名所として知られているほか、
大阪城と地下道で繫がっていると伝えられる「真田の抜け穴」の跡が
大河ドラマ「真田丸」により、脚光を浴びています。
現在、抜け穴は通り抜けできませんが・・・
11月の真田まつりには、抜け穴が開放されるそうです。
この抜け穴の脇には真田幸村の陣中での指揮姿の銅像が建っています。
旗指物のミニチュア(1000円)を買いました。
真田山は、宰相山とも呼ばれますが、名前の由来は
前田宰相利常公から来ているとか。
加賀・前田隊が、大坂冬の陣の陣地を、この山から見渡せたそうです。
その真田山の丘の麓、三光神社の直ぐ近くに、
真田丸の戦いの戦死者を祀る善福寺さん(どんどろ大師)は、
宝暦二年(1752年)3月に高野山岩本院法資法道が
大坂の陣の戦死者の霊を弔う為に創建されたと謂れます。
この寺の有った付近は、大坂冬の陣において、真田丸が築かれた辺りで
激戦地だった為、戦死者が多かった置思われます。
どんどろ大師さん
勝軍地蔵さん
身体の悪い所を撫でると良くなります。
現在の大阪明星学園辺りに、大坂冬の陣の際、真田幸村が築いた
「真田丸」があったとされ、石碑には大阪城天守閣が監修した
「真田丸」に関する史料が記されています。
真田丸の跡地は、大阪明星学院のグランドに姿を変えています。
道路を挟んで向かい側に、興徳寺さんの山門が見えます。
行基によって造られたと云われる歴史の古いお寺で、
真田丸の戦いも見詰めていたのでしょう。
外壁越しの高さ33尺の大きな 准提観音様のお姿に目を奪われます。
手入れの行き届いた、素敵なお庭の奥に、おわします
さらに、北隣の心眼寺さんは、大坂夏の陣で命を散らせた真田信繁と
その子大助の供養の為に、真田家の祖先滋野氏が江戸時代に建てた寺です。
境内には、信繁の四百回忌に際して建立された墓碑があります。
心眼寺さんの門には門扉に 真田家の旗印・家紋の六文銭があしらわれておりました
真田丸は、東西210m、二つに分かれていたと謂れます。
心眼寺の由緒書きによると、ここ心眼寺が東端との事です。
その西に210m行きますと、そこには幸村が戦勝祈願したとされる
鎌八幡神社が見えてきます(撮影禁止の為、外観のみです)。
鎌を打ち込む事で悪縁を絶つ、と古くから信仰を集める榎の霊木がある寺院です。
大坂冬の陣の際、幸村も「鎌八幡大菩薩」と唱えながら鎌を打ち込んで戦勝を祈願し、
見事な成果を果たしました。
御神木の西側から寺の北側まで続く石垣は、真田丸の名残りではないか?
と謂れています。
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豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けました。
戦国時代の戦火で荒廃しましたが、1603年に豊臣秀頼により社殿が再建されました。
元和元年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年に徳川幕府の大坂城代や
氏子らの寄進によって再建されたとの事。
現在の「玉造」の社名は、一帯が古代、勾玉などを作っていた
玉作部の居住地で有ったという伝承から付いた地名によるそうです。
この神社は、豊臣秀頼にゆかりにある見所が多く見られます。
豊臣家奉納鳥居 は、 豊臣秀頼により社殿が再建された時に奉納された石鳥居です。
阪神・淡路大震災により基礎に損傷を受けた為、現在は上部・脚部に分け、
境内に置かれています。
豊臣秀頼公銅像 --は、平成23年10月13日に建立されたものです。
境内にある胞衣(よな)塚大明神は、 - 豊臣秀頼公の胞衣を祀っております。
当初は大坂城三の丸に当たる現在地に胞衣が埋められ、その後は
豊臣家を慕う当地の人々により密かに祀られていたと謂れます。
ここに生えている笹を、夜泣きをする子の寝床の下に敷くと、
霊験あらたかと謂われています。
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