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空海が高野山のふもとに作った お寺と神社 [日本仏教史]

真田幸村雌伏の地、九度山の地名の由来は、空海の伝説に由来します。
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弘仁七年(816年)、空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、
高野山参詣の要所に当たるこの地に、高野山への表玄関として伽藍を造り、
高野山の庶務を司る高野政所をここに置いたとされていわれます。

空海の母が、讃岐国多度郡から高齢を押して訪れた時も、女人禁制としていた
高野山には、母といえど入山させず、麓にあるこの政所に滞在させ、
空海はひと月に九度、は必ず20数kmの山道を下って母を訪ねてきたので、
この辺りに「九度山」という地名が付けられたとのことです。
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空海の母が亡くなった時、空海は弥勒菩薩の霊夢を見た為、廟堂を建立し
自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったといわれます。
弥勒菩薩の別名を 慈尊と呼ぶことから、この政所が慈尊院と
呼ばれるようになったのだそうです。

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そこから、弘法大師の母が入滅して弥勒菩薩に化身したという信仰から、
慈尊院が女人高野と呼ばれるようになったのです。
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どっしりとした山門は四脚門で、門の間から、朱鮮やかな多宝塔を
のぞき見る事ができます。

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山門の左右に掛けられている慈尊院の寺名札のうち。左側に掛けられている寺名札で、
寺名の他に 『世界遺産』の文字が見られます。

右側に掛けられているものには、寺名に加え『女人高野』の文字が記されています。

山門をくぐるとすぐ右手に大師堂が見えてきます。

この堂には弘法大師が本尊として祀られています。
脇仏は、四国八十八ヶ所霊場の御本尊八十八躯をお祀りしております。
ここにお参りすれば、四国にお参りされたと同様のご利益が得られると
多くの方がお越しになられるそうです。


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多宝塔は弘法大師によって建立されたと伝えられていますが、現存のものは、
寛永年間に再建されたものだそうです。和歌山県指定重要文化財です。
「多宝塔」には、胎蔵界大日如来さまが祀られています。

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「多宝塔」の東側の丹生官省符神社に上る石段を隔てて拝堂が建てられています。


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拝堂の東面では、小坊主の像が出迎えてくれます。
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拝堂の南面から、内部が拝めます。数多くの吊り灯籠が煌びやかで、
外から見た地味な感じのする拝堂とはギャップが感じられますね。

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拝堂の南面が正面になり、拝堂の北側にある弥勒堂に安置されている
ご本尊さま―弥勒菩薩さまを礼拝できるようになっています。

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弥勒堂は、方三間、檜皮葺の宝形造のどっしりとした建物です。
鎌倉時代の建築ですが、平安時代末期頃の様式を残しているといわれています。
内部の中央には、一間四方の内陣を構え、この部分は肘木 、高欄など
鎌倉時代中期頃の形式を残し、小組入格天井を張り、正面は扉装置になっています。
背面は来迎壁(らいごうへき)になり、須弥壇(しゅみだん)の格狭間も残されています



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重要文化財に指定され、2004年7月、ユネスコの世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。

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本尊「弥勒菩薩坐像」は厳重な秘仏とされ、国宝に指定されています。
如来形の弥勒仏の像で、像高は91cm。右手を挙げ、左手を膝上に置き 
如来像通有の印を結んでいます。
下ぶくれの頭部、重々しい面相、量感のある体躯表現、大ぶりに刻まれた
翻波式衣文(ほんぱしきえもん)様式などに平安時代初期彫刻の特色が現れています。

組んだ両脚の前の裳先部分に寛平4年(892年)の墨書があり、平安前期の作といわれます。
長年秘仏として伝えられてきたため、光背、台座も当初のものが残されています。
開扉は空海の命日に因み、21年に一度とされています。


弘法大師御母公との結縁寺として知られるようになった慈尊院では、
大師の母公の化身とされる弥勒菩薩さまへ子宝、安産、育児、授乳、病気平癒を願い、
「乳房型絵馬」をご奉納して祈願する慣わしが有ります。
女人高野として、そのご利益を願って多くの女性により信仰を集めています。


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その他にも、境内には史跡や見どころがいくつかあります。

下乗石は現在は表門の外に建っています。
天文期の、紀ノ川の大洪水で流された、旧慈尊院の南門に造られたものの、
上部と言われています。

平安時代に、法務権僧正定海により建立されました。
門には、下乗札がかかっており、皇族・貴族はここで籠を降りられました。

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築地塀と北門

和歌山県指定重要文化財です。
築地塀は、境内の周囲3方約250mにわたり、和歌山県一の古さと
壁の厚さがあります。
当時の面影を残し、風情があります。

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五輪石塔二基

九度山町の指定文化財 表門をくぐったすぐ左側にある。
承安元年(1171年)12月、慶幸俊厳の放火によりたくさんの経巻、道具類が焼失しました。
その悲しみのうちに建てられたものといわれます。
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弥勒堂の石灯籠
石灯籠は、応永8年の名が有り、1400年頃に製作されたものです。
1540年に、弥勒堂と共に この地に移されました。
精緻な装飾が施された優美な作風を感じられます。


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樹齢350年を超え、幹の周りは2.03m、高さ15m、網目の様に露出している
大小の根が古木の趣をうかがわせています。
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鬼子母神

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高野山案内犬・ゴンの碑

昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた白い雄の野良犬が,
誰が教えた訳でもないのですが、高野山への参詣者の道案内をする様になったのです。
慈尊院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と
呼ばれるようになりました。


最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を案内するだけでしたが、いつしか高野山町石道の
約20kmの道のりを高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻るという
毎日を送るようになったのです。

ゴンは2002年6月5日息を引き取りましたが、参詣者から愛されていたゴンを惜しんで、
同年7月23日に当院境内の弘法大師像の横に、ゴンの石像が載せられた
「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられました。

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「山門」から真っ直ぐに南の方向に進むと「丹生官省符神社」に上がる
119段の石段があります。
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その石段を少し上がると右手に一番目の「町石」が見えます。
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空海が母に会うために通ったという、「慈尊院」から高野山までの参道、
町石道(ちょういしみち)に、一丁毎に道標が建てられています。
町石は高さ約3mの石柱で、「慈尊院」から高野山の伽藍まで180本、
伽藍から奥の院御廟まで36本あります。
当初は木造の卒塔婆だったといわれますが、文永2年(1265年)から20年の年月をかけて
石造りに改められたもので、創建当時の姿が越されています。

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町石を過ぎて、石造大鳥居をくぐり119段の石段をのぼりきると、

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大きな丹塗りの鳥居の建つ広庭から拝殿を通して拝観する極彩色の神殿を
覗き見ることができます。

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そこには階段下の慈尊院の温かく賑やかな雰囲気はなく、静寂が広がり
凛とした空気を感じます。
社殿の目にも鮮やかな極彩色の彩色も、神秘さを増しているような思えます。


この丹生官省符神社は、弘法大師空海が慈尊院を開創した時、その鎮守として
高野山の山王神でもある丹生都比売、高野御子神を祀ったことに端を発します。


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丹生官省符神社の草創は古く、弘仁七年(816)空海によって創建されたお社です。
空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺を出で立ち
各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い
高野という山上の霊地のあることを教えられました。
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猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。
空海は、此の処を教えくださった猟師は、神さまが姿を猟師に変えて現れ、
化現狩場明神となり神託として一山を与え下さったものであると
感得されたのでした。
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その事を嵯峨天皇に上奏し、天皇は深く感銘され、
高野山を空海に下賜されたのでした。

空海は、狩場明神の尊い導きにより高野山金剛峯寺を開山することができ、
空海は慈尊院を開いたとき、参道中央正面上壇に丹生高野明神社(現丹生官省符神社)
を創建されました。

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空海によって創建鎮座爾来、御社号も慈尊院丹生高野明神社、丹生七社大明神、
丹生神社、丹生官省符神社と変遷しつつ多くの人の尊崇を受け、
官省符荘(荘園)の総社として栄えました。
天保年間には、数多くの御社殿等が立ち並び荘厳を極めていましたが、
明治維新の神仏分離令により多くの建物は取り除かれ、
室町時代に再建された本殿のうち、三棟が往年の姿をとどめ、
国指定重要文化財に指定されています。

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第1殿には丹生都比売大神(にゅうつひめのおおかみ)
・高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
・天照大御大神(あまてらすおおみのおおかみ)

第2殿には大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)
・誉田別大神(ほんだわけのおおかみ)
・天児屋根大神(あめのこやねのおおかみ)

第3殿には市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)を祀ります。


拝殿の額には、県指定の獅子頭二頭の写真が飾れています。
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忌明清祓社

空海創建の社と言われます。
亡くなったのち51日、101日をもって親族・家族がお祓いを受け、
喪中が解け各神社や刑事に参加できるようになる、節目の儀式を行う社です。

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九度山町天然記念物のボダイジュ

慈尊院のボダイジュは、樹齢250年を超え、幹野周りは、1.76m、
俗名・高野菩提樹ともいわれる木のうち、高野山付近で唯一現存するものです。

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高野山の麓に、陰陽それぞれのパワーにみちた、空海ゆかりの世界が残されていました。
今まで知られなかったこの慈尊院と丹生官省府神社が、世界遺産登録を機に
少しずつ知られるようになってきています。



今回は、真田幸村ゆかりの地に訪れ、近くだと知って御縁を頂きました。
そして、弘法大師さまの御縁日に、腱賦活術の初めての講習を行うという
御縁も頂けました。




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