真田幸村雌伏の地 九度山を訪ねる [戦国・パワースポット]
NHK大河ドラマ【真田丸】で人気を博している真田信繁 こと幸村と父昌幸は、
関ヶ原の戦いで石田方に付き、信濃上田城で徳川秀忠の大軍を足止めさせ、
関ヶ原の本戦に間に合わさせなかったという軍功をあげました。
しかし本戦でお味方が家康方に敗れた為、高野山に送られ蟄居させられました。
本来は死罪となるところを、徳川方についた兄の信之とその義父本田忠勝の
嘆願で命が助かったのです。
高野山は女人禁制。 妻子との暮らしを許された真田幸村は、
正室や側室を伴って、高野山のふもと九度山に移りました。
この地で、真田昌幸は没するまでの11年、幸村は14年もの間、
雌伏の時を過ごしたのです。
九度山には、真田父子が結んだ庵跡に建てられた善名称院(ぜんみょうしょういん)
や真田の抜け穴伝説が伝わる真田古墳があり、
大河ドラマ【真田丸】を記念して真田ミュージアムも建てられています。
九度山には、大阪難波駅で南海電車の割引切符と大河ドラマ館の入場券が
セットされた『真田・九度山きっぷ』を購入し、南海高野線で先ず橋本駅に向かいます。
この切符の特典として、真田ミュージアム入場の際、こんなクリアファイルがもらえます。
オシャレなうえに、入場、入館時のパンフを挟めて 重宝します。
和歌山方面は晴れとの予報に反して、河内長野を過ぎて緑が増えてきた頃、
激しい雨が・・・
橋本で、赤備えの外観、座席に六文銭をあしらった極楽橋行きの電車に乗り換えた
頃から天気も回復。
なんと、座席のシートも六文銭。 優先席は緑地にハートが6個。
九度山駅も、真田一色。
駅を出て、歩道橋を渡ると「真田のみち」と名付けられた商店街があり、
真田十勇士の描かれた電柱が並びます。
2016年3月13日にオープンした【真田ミュージアム】。
エントランスでは、昌幸・幸村・大助の真田三代が甲冑姿で
出迎えてくれます。 つわものの証、赤備えの甲冑が素敵です。
上田時代の真田の活躍に続き、九度山時代の雌伏の日々を紹介した
映像と、大阪の陣の活躍を夏の陣図屏風や解説動画にて、
興味深く観る事ができました。
一方、実際の九度山の苦しい生活やその時の為の秘めた思いを
感じさせる真田の庵も再現されています。
江戸時代に、ヒーローとして称賛され、秀頼を抱えて九州に逃れた等の説や、
十勇士の伝説なども紹介されています。
最後は、企画展示室にて2017年2月28日(火)まで開催されている大河ドラマ展、
真田丸のタイトルや衣装、小道具の展示、特に 出演者のコメントやサインには、
役者さんの個性が現れていて面白かったです。
九度山には、高野山から移り大坂の陣に赴くまで、真田父子が暮らした庵の跡に、
善名称院というお寺が建てられています。
大坂の陣の後は、徳川秀忠の残党刈りで昌幸の墓と真田の松だけが
残っていたそうです。
幸村の旗印である六文銭が門扉にも刻まれています。
九度山には、昌幸だけでも16名の家臣とその妻子、側室や女中なども伴ったと云われ、
かなりの人数が一緒に暮らせる屋敷を建てられる場所として この場所が
選ばれたと思われます。
真田屋敷には、大台所の周りに、家来や小者、次女の部屋があり、
その東側に広い板敷の間を隔てた4間に幸村と妻子が暮らし、
さらに東へ廊下を隔てた九畳敷きの二間に、昌幸が生活をしていたのです。
重臣達は、真田屋敷の北面に低い石垣と板塀で隔てて住居を設け、
敷地内には厩や蔵、納屋も作られていた様です。
牢人とはいえ、ある程度の自由な生活ができたものの、生活費は紀州藩からの
わずかの支給金と、上田城の兄からの仕送りに頼り、
かなり厳しいものだったようです。
有名な真田紐は、生活費を稼ぐ為の内職となっていたそうでした。
1611年に昌幸が亡くなった時、この地の森の中に宝篋印塔を建て、
そののち訪れた大安上人にて、善名称院が建てられました。
大安上人は、真田昌幸、幸村、大輔の御霊を地主大権現としてまつられ、
福徳を授ける神、知恵の神として一心に祈願すると霊験あらたかと言われています。
昌幸の一周忌のあと、昌幸の家臣の殆んどは上田に帰って行き、
わずか3名の家臣が残るのみの 寂しくなった九度山で
父の菩提を弔いながら日頃から来るべき日に備え、武技を練って
再起の時を待ったと思われます。
真田庵の境内には、慶長年間に真田屋敷に落ちた雷を、幸村が取り押さえて
この井戸に封じて、里人の難を救ったという言伝えが残されています。
真田庵宝物資料館は、善名称院の敷地内にある、小さな資料館です。
真田昌幸公、幸村公の鎧や兜のレプリカ、武器、書、肖像画の複製などですが、
幸村直筆と言われる書簡が、特に印象に残ります。
本堂では、真田幸村公の「おもかるさま」を見つけました。
真田庵から東へ170mのところに真田古墳があります。
四世紀頃の古墳ですが、真田の抜け穴伝説が残る為、その名が付きました。
この穴の向こうは、遠く大阪城に続いていて、幸村はこの抜け穴を使って
大阪城に出向いたと云う伝説です。
勿論、大阪との距離は果てしなく、抜け道がつながっているとは思えませんね。
実際は監視する様に言われていた九度山の村人と酒宴を催して、
迷惑が掛からぬように村人達を酔わせ眠らせてから この地を発ったそうです。
村人も、わかっていながら、酔ったふりをしながら涙を流して別れを惜しんだと云う
いい話と共に、こちらがホントの様に思えます。
大阪の三光神社にも真田の抜け穴があり、
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2016-06-21
豊臣秀頼は、真田大助とともに、
この穴を使って脱出して生き延びたという伝説もあるなど、
戦国のヒーロー真田幸村の人気が生んだ逸話と言えますね。
お昼時は、パンフレットに載っている食事のお店はどこもいっぱい。
「グラタンカフェ」さんも、開店して直ぐに満席になりました。
少し早目に行って良かった。
道路からは小屋らしき建物しか見えませんが、この「看板」の下から店内への入口が見えます。
地下にあるお洒落で本格的なグラタンが食べられる専門店として人気の店です。
沢山の種類のグラタンメニューがあります。
ベースとなるホワイトソースにいれるものとして、ペンネかドリアが選択できます。
せっかくなので、リッチな海鮮グラタン「SANADAMARU」をチョイス。
前菜3種、スープ、サラダが付いてペンネは2280円、ドリアは2380円です。
満席の為、少し時間が掛って オシャレな 前菜の登場!
ゴールドキウイの生ハム巻、蛸とスモークサーモン(レアな食感でした)、
私の好みは、鴨の燻製が丁度良い感じで特にgood。
スープは、冷製コーンスープを選択、もう1種の温かい別のは今日の気候には・・
オイリーな感じに見えましたが、後味さっぱりで夏向きで美味しい。
サラダは、地元の名産を使った 「玉ねぎドレッシング」か
「富有柿ドレッシング」でいただきます。
いよいよグラタンが焼けてきました。 ぐつぐつと 音をたてています。
海鮮グラタン「SANADAMARU」は真田の旗印が重要アイテム。
お店はとってもお洒落。
トイレへの通路もお洒落。
トイレの中もお洒落。
お腹も心も充たされました。
さっぱり和食系の好みの方は、真田庵の隣の『幸村庵』さんの、蕎麦も有名です。
真田の故郷、信州上田の蕎麦職人が打つ本格派だそうです。
真田ゆかりの史跡だけなら半日あれば十分です。
お腹が満たされた私達は、空海ゆかりの寺社が建つエリアに足を伸ばしました。
詳しくは次の記事にて。
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関ヶ原の戦いで石田方に付き、信濃上田城で徳川秀忠の大軍を足止めさせ、
関ヶ原の本戦に間に合わさせなかったという軍功をあげました。
しかし本戦でお味方が家康方に敗れた為、高野山に送られ蟄居させられました。
本来は死罪となるところを、徳川方についた兄の信之とその義父本田忠勝の
嘆願で命が助かったのです。
高野山は女人禁制。 妻子との暮らしを許された真田幸村は、
正室や側室を伴って、高野山のふもと九度山に移りました。
この地で、真田昌幸は没するまでの11年、幸村は14年もの間、
雌伏の時を過ごしたのです。
九度山には、真田父子が結んだ庵跡に建てられた善名称院(ぜんみょうしょういん)
や真田の抜け穴伝説が伝わる真田古墳があり、
大河ドラマ【真田丸】を記念して真田ミュージアムも建てられています。
九度山には、大阪難波駅で南海電車の割引切符と大河ドラマ館の入場券が
セットされた『真田・九度山きっぷ』を購入し、南海高野線で先ず橋本駅に向かいます。
この切符の特典として、真田ミュージアム入場の際、こんなクリアファイルがもらえます。
オシャレなうえに、入場、入館時のパンフを挟めて 重宝します。
和歌山方面は晴れとの予報に反して、河内長野を過ぎて緑が増えてきた頃、
激しい雨が・・・
橋本で、赤備えの外観、座席に六文銭をあしらった極楽橋行きの電車に乗り換えた
頃から天気も回復。
なんと、座席のシートも六文銭。 優先席は緑地にハートが6個。
九度山駅も、真田一色。
駅を出て、歩道橋を渡ると「真田のみち」と名付けられた商店街があり、
真田十勇士の描かれた電柱が並びます。
2016年3月13日にオープンした【真田ミュージアム】。
エントランスでは、昌幸・幸村・大助の真田三代が甲冑姿で
出迎えてくれます。 つわものの証、赤備えの甲冑が素敵です。
上田時代の真田の活躍に続き、九度山時代の雌伏の日々を紹介した
映像と、大阪の陣の活躍を夏の陣図屏風や解説動画にて、
興味深く観る事ができました。
一方、実際の九度山の苦しい生活やその時の為の秘めた思いを
感じさせる真田の庵も再現されています。
江戸時代に、ヒーローとして称賛され、秀頼を抱えて九州に逃れた等の説や、
十勇士の伝説なども紹介されています。
最後は、企画展示室にて2017年2月28日(火)まで開催されている大河ドラマ展、
真田丸のタイトルや衣装、小道具の展示、特に 出演者のコメントやサインには、
役者さんの個性が現れていて面白かったです。
九度山には、高野山から移り大坂の陣に赴くまで、真田父子が暮らした庵の跡に、
善名称院というお寺が建てられています。
大坂の陣の後は、徳川秀忠の残党刈りで昌幸の墓と真田の松だけが
残っていたそうです。
幸村の旗印である六文銭が門扉にも刻まれています。
九度山には、昌幸だけでも16名の家臣とその妻子、側室や女中なども伴ったと云われ、
かなりの人数が一緒に暮らせる屋敷を建てられる場所として この場所が
選ばれたと思われます。
真田屋敷には、大台所の周りに、家来や小者、次女の部屋があり、
その東側に広い板敷の間を隔てた4間に幸村と妻子が暮らし、
さらに東へ廊下を隔てた九畳敷きの二間に、昌幸が生活をしていたのです。
重臣達は、真田屋敷の北面に低い石垣と板塀で隔てて住居を設け、
敷地内には厩や蔵、納屋も作られていた様です。
牢人とはいえ、ある程度の自由な生活ができたものの、生活費は紀州藩からの
わずかの支給金と、上田城の兄からの仕送りに頼り、
かなり厳しいものだったようです。
有名な真田紐は、生活費を稼ぐ為の内職となっていたそうでした。
1611年に昌幸が亡くなった時、この地の森の中に宝篋印塔を建て、
そののち訪れた大安上人にて、善名称院が建てられました。
大安上人は、真田昌幸、幸村、大輔の御霊を地主大権現としてまつられ、
福徳を授ける神、知恵の神として一心に祈願すると霊験あらたかと言われています。
昌幸の一周忌のあと、昌幸の家臣の殆んどは上田に帰って行き、
わずか3名の家臣が残るのみの 寂しくなった九度山で
父の菩提を弔いながら日頃から来るべき日に備え、武技を練って
再起の時を待ったと思われます。
真田庵の境内には、慶長年間に真田屋敷に落ちた雷を、幸村が取り押さえて
この井戸に封じて、里人の難を救ったという言伝えが残されています。
真田庵宝物資料館は、善名称院の敷地内にある、小さな資料館です。
真田昌幸公、幸村公の鎧や兜のレプリカ、武器、書、肖像画の複製などですが、
幸村直筆と言われる書簡が、特に印象に残ります。
本堂では、真田幸村公の「おもかるさま」を見つけました。
真田庵から東へ170mのところに真田古墳があります。
四世紀頃の古墳ですが、真田の抜け穴伝説が残る為、その名が付きました。
この穴の向こうは、遠く大阪城に続いていて、幸村はこの抜け穴を使って
大阪城に出向いたと云う伝説です。
勿論、大阪との距離は果てしなく、抜け道がつながっているとは思えませんね。
実際は監視する様に言われていた九度山の村人と酒宴を催して、
迷惑が掛からぬように村人達を酔わせ眠らせてから この地を発ったそうです。
村人も、わかっていながら、酔ったふりをしながら涙を流して別れを惜しんだと云う
いい話と共に、こちらがホントの様に思えます。
大阪の三光神社にも真田の抜け穴があり、
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豊臣秀頼は、真田大助とともに、
この穴を使って脱出して生き延びたという伝説もあるなど、
戦国のヒーロー真田幸村の人気が生んだ逸話と言えますね。
お昼時は、パンフレットに載っている食事のお店はどこもいっぱい。
「グラタンカフェ」さんも、開店して直ぐに満席になりました。
少し早目に行って良かった。
道路からは小屋らしき建物しか見えませんが、この「看板」の下から店内への入口が見えます。
地下にあるお洒落で本格的なグラタンが食べられる専門店として人気の店です。
沢山の種類のグラタンメニューがあります。
ベースとなるホワイトソースにいれるものとして、ペンネかドリアが選択できます。
せっかくなので、リッチな海鮮グラタン「SANADAMARU」をチョイス。
前菜3種、スープ、サラダが付いてペンネは2280円、ドリアは2380円です。
満席の為、少し時間が掛って オシャレな 前菜の登場!
ゴールドキウイの生ハム巻、蛸とスモークサーモン(レアな食感でした)、
私の好みは、鴨の燻製が丁度良い感じで特にgood。
スープは、冷製コーンスープを選択、もう1種の温かい別のは今日の気候には・・
オイリーな感じに見えましたが、後味さっぱりで夏向きで美味しい。
サラダは、地元の名産を使った 「玉ねぎドレッシング」か
「富有柿ドレッシング」でいただきます。
いよいよグラタンが焼けてきました。 ぐつぐつと 音をたてています。
海鮮グラタン「SANADAMARU」は真田の旗印が重要アイテム。
お店はとってもお洒落。
トイレへの通路もお洒落。
トイレの中もお洒落。
お腹も心も充たされました。
さっぱり和食系の好みの方は、真田庵の隣の『幸村庵』さんの、蕎麦も有名です。
真田の故郷、信州上田の蕎麦職人が打つ本格派だそうです。
真田ゆかりの史跡だけなら半日あれば十分です。
お腹が満たされた私達は、空海ゆかりの寺社が建つエリアに足を伸ばしました。
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