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岡崎城下町と 絶品味噌田楽の八千代さん―花火大会の前のひと時 [城下町]

岡崎と云えば、岡崎市は、
徳川家康の生まれた所 として知られており、
岡崎城にも三河武士の館 家康館がある様に、
家康の城下町と云う 印象が強いです。

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実際は、岡崎城を本拠としていた
家康が、天正18年(1590)に関東移封を命ぜられ、
代わって秀吉の家臣である田中吉政が入城して、
大規模な城郭拡張と城下町作りを行いました。
岡崎城下町は二十七曲がりと云われ、これは
田中吉政が10年間掛って作り上げたものです。

その理由が 
家康の攻めに備えてのものだったのが 皮肉なものです。

秀吉によって 
家康は江戸と云う 関東の田舎に追いやられてしまった訳で、
田中吉政にしてみれば、いつ家康が攻めて来ても良い様に 
城下町の27曲がりをはじめ、寺院に対しても 砦としての機能を備え、
敵の襲来を見張る高楼の設置、攻めに耐えられる
頑強な壁等を設けているのです。

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徳川家康が、天下を取り、徳川の世が300年も続く基礎を作れた一番の原因は、
私は家康が 当時としては『長生き』であった事にあると思います。
家康は、八丁味噌などの身体に良い発酵食品を愛用し、漢方薬なども調剤する
等の 健康オタクであったのです。
八丁味噌は 家康の天下獲りに大いに関係したと言われる所以です。
まさに、パワーフードです。


戦での携帯保存食であった八丁味噌は、
500年の歴史を経て 岡崎の名産品となります。

八丁味噌と云う名は、岡崎城から西へ 八丁(約870m)の距離にある
八丁村で作られていた事から名付けられたと言われます。


現在も 八帖町には、味噌蔵が並ぶ古い町並みが残り、
白壁と黒い杉板のコントラストが美しい景観を作っています。

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八丁味噌まるやの店頭で、味噌蔵の見学を勧められましたが、
今回は時間の都合で出来ずも、工程についての説明や味噌樽の上に
石が積んである様子が見学できるとの事。
又の機会に、ゆっくり訪れたいものです。
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八丁味噌蔵が並ぶ辺りまでは、
名鉄の岡崎公園・愛知環状鉄道の中岡崎から徒歩5分程で行けます。




花火大会まで少し時間があるので、先に
お城の北にある伊賀八幡宮を参拝。
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松平四代親忠が 松平家の氏神として、武運長久、子孫繁栄を祈願する為、
社を三重県伊賀より三州額田郡井田村へ移したのが始りと言われます。

伊賀に因んで伊賀八幡宮と呼び、地名も伊賀と改め、今にその名を留めます。

江戸時代を通して将軍家の崇敬は厚く、
家康も大きな合戦の際には必ず参詣したそうです。
以来開運の勝ち神様として崇敬を集めています。

徳川三代将軍の家光公が、岡崎の伝来の守護神である伊賀八幡宮に、
祖父である東照大権現(家康公)をあわせて祀られました。

東照大権現像
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尚、家光公は、祖父の造営した御本殿に増築する形で、
現在の権限造りの御社殿などを造営されました。
権現造りの本殿は入母屋造が普通ですが、
伊賀八幡宮は流造りになっている珍しい建物で、
「本殿」「幣殿」「拝殿」の三連で権現造りとなっています。

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この極彩色の御社殿などは昭和8年に国宝に指定され、
現在も、随神門・石橋など と共に 国の重要文化財とされています。

生憎、蓮池に掛る神橋は改築中により、完成予想図が掲げられておりました。
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随神様が安置する随神門としては、愛知県では伊賀八幡宮だけで、
神域の守り神、随神様が門の両側に配置されております。
又 門の表と裏両方の左右に天邪鬼が門の屋根を支えています。            

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ここの八幡さんはハスの花が咲く事でも有名です。
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八幡宮を後に、岡崎城公園の方に向かいます。

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午後三時半を過ぎて、花火に向かう浴衣の女性の姿も
目に付くようになってきました。
この日は雨の心配無しの、ぐったりする暑さで、お城の水路の脇の樹の葉も 
しおっ↷となり、水路の浅瀬に、水鳥かと思いきや、涼を求めた鳩が
水で脚を冷やし?ながら 水を飲んで、暑さをしのいでいる姿を目にしながら、
お堀端や公園内を散策しました。

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思いつきで来たので桟敷席の予約はもちろん、場所取りもしておらず、
初めての地で、どうなるか運まかせなので、とりあえず 早めの腹ごしらえをして
花火に備えようと 岡崎城公園内の 『八千代』さん に向かいました。

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「以前 https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2011-09-04、食べた〈田楽定食〉が忘れられない」
と言っていた 家人の本当のお目当ては正確には〝お吸い物〟 でした。

私も、幼少の頃より、両親の影響で 〈田楽〉はあちこちでよく食べてきましたが、
そんな中でも 『八千代』さんの〈田楽〉は 私が食べてきた〈田楽〉でも最高レベル
だと思っていたので、意見は一致したのです。

先ずは、ここのお豆腐の水分を含んだ柔らかさに感激!
それなのに 二本の丸い太めの竹串にシッカリと
刺さってしっかり焼かれており この店の技術の高さに驚きです。
肉で言うと、レアな状態で出される〈田楽〉は 他では味わえません。

八丁味噌のタレは、サラッとしながらも上品な 甘過ぎず辛過ぎず
丁度良い塩梅です。
山椒の葉のアクセントもバッチリです。
この、タレが豆腐を覆う様に掛っているのも私好み。

菜めし田楽定食をオーダーすると、〈田楽〉に乾燥した菜のフリカケ状が掛った菜飯に、
家人一押し絶品の魚つみれの椀物、洗練された上品な御味の中身は柚子が香り
ふんわりしたツミレ・卵豆腐・素麺・玉麩・三つ葉が彩り良く鎮座。
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私は、思わず出された〈田楽〉の位置を変え様として 踏みとどまったのと、
仲居さんが声を発しかけたのが同時でした。

ここの田楽は、串が手前の向こう側に来る様に置かれていて 
奥から手を伸ばして 手首の向きのまま 串を掴んで田楽の先から
口に入れる食べ方が正式なのを 咄嗟に思い出したのでした。
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田楽を頬張ると 期待を裏切らない幸せな世界が口の中に広がります。

今回は、天婦羅付定食にしました。
食べ易く、小ぶりに薄くカットされた数種の野菜が薄い衣を纏いパリッと揚っており、
海老は身がしっとりと とても美味しかったです。

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野菜本来の色鮮やかさをそのままにの 香の物 は スッキリと頂けます。
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デザートの梨もみずみずしく美味しく頂けました。

花火を見る前に、もう 一満足したと言う感じです。

花火は、城の西側の堀の際の土手で見ました。
真上に大きく大輪が広がる位置で、ダイナミックな花火を堪能できました。

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そのツケで、空から降る灰の雪で頭の中が真っ黒になっている事に気が付きました。

真上の火華に、頸が疲れたのと、勾配のある土手に陣取って芝スキーなみに滑るのを
足元に来る様に見計らって木の切り株に足を置いて長時間、踏ん張っていて痛くなり
早めに会場を後にしたのに、帰りの電車の混雑が足に堪えました。

22時過ぎに電車が岐阜駅に着いた時には、岐阜新聞さん主催の花火を見終えた
大勢の方達が どんどん乗り込もうと溢れていました。







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