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美濃市の長良川にまつわる文化遺産と 穏やかな お顔の円空(仏)さん [パワースポット]

美濃市の長良川のほとりに 穏やかなお顔の円空(仏)さんが 
お祀りされていると お聞きし、訪ねて行きました。

場所は、前野という所で、うだつの町並みや川湊跡のある 美濃の町の
長良川を挟んだ対岸に当ります。

名鉄岐阜駅から、郡上八幡行きの高速バスで 高速美濃のバス停で
洞戸栗原行きに乗り換えて 前野を目指します。

前野のバス停で降りて、スマホの地図を頼りに歩いていると、目指している
恵照院とは逆方向に歩いている事に気付き 戻りましたが、
幸い畑仕事をされていた住民の方に会釈して頂き、その方にお聞きすると

前野のバス停からも 1.5㎞は有るそうで 大汗をかきながらの
道中となりました。

スマホに載っていた恵照院近くの バス停のマークは、
予約制の乗り合いタクシーのもので、その為、大回りをしたうえ 
ちょっとしたウォーキング並みに歩く事になりました。


ようやく 少し小高い所に 慧照院さんが見えてきました。
『十一面観世音菩薩』を御本尊とする 臨済宗妙心寺派のお寺さんです。


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花や木々に囲まれた とても雰囲気のあるお寺さんで 
美濃市では一番の眺望を楽しめる良い景色のお寺さんだそうです。
ここの一本桜は、根尾の-淡墨桜-の子供との事です。

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約、450年ほど前に山崩れの為に流出していたのを 江戸期に、流出跡地に
清泰寺第四世 梁屋和尚様により 創建されたそうです。

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本堂に上がりお詣りをさせて頂いていると、運良く、
円空(仏)さんのお顔を拝ませて頂く事が出来ました。

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円空様の彫られた地蔵菩薩様は、
強化硝子のケースに厳重に保管されていましたが、
ご住職様にlightを点けて頂き、その穏やかなお顔を拝ませて頂きました。

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ご住職の話によりますと、円空上人が 関・弥勒寺でご入定される前に 
弥勒寺に向かう道すがら、疫病に苦しむ子供達の病気平癒を念じて 
民家に残して置かれたものだそうです。

その様に 晩年の作の為、円空仏特有の鉈の跡鋭い 荒々しさは
全く感じられず、首を右に傾げ穏やかに微笑まれた、とても優しいお姿で、

「横から見ても正面から見ても微笑まれている優しいお顔を拝めるんですよ」
「悟りを開かれた晩年の円空様の御姿も、この様なお顔だったのかも知れませんね」
と言われる お言葉通りで、しばし 見入ってしまいます。


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パンフレット 「臨済山 慧正院の由来」より

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現在の堂宇は、昭和初期に建てられたもので、そのなかでも、
庚申堂が一番古く、「帰ってきた庚申様」として、
住民に親しまれているそうです。

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また、この寺には、慧照院蔵 名寄帳(前野区 天正検知2冊) が伝わり、
美濃市が市指定文化財として保管されているそうです。

これは、天正十七年(1589年)に豊臣秀吉によって この地で
検地が実施された際、その時に、検地帳と共に作成された名寄帳です。

その後、慶長十八年にも検地があり、これは石見検(いわみけん)と称せられ、
大久保石見守が中心となったものでその時の名寄帳も残っているそうです。

ここからは、さすがにタクシーにて 美濃市うだつの古い町並みに移動です。

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ここから、美濃国四大川湊のひとつである、上有知(こうづち)川湊跡を目指します。

途中に、美濃の城下町を築いた 金森長近を称えて命名されたと謂れの
長近の松 と呼ばれる松があります。
長近公御手植えの松であるとの逸話もあり、現在は3代目だそうです。

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1600年 に、関ヶ原の戦いの功により、
徳川家康から美濃国上有知(こうずち)に領地を受け、
飛騨高山藩領となりました。

長近は、長良川畔の小倉山に小倉山城を築城し、
小倉山城の東側に城下町を作りました。
また、上有知川湊を開設し、
美濃和紙、荏胡麻、生糸、酒ほかの輸送基地として、
上流から運ばれる木材運搬の中継基地として、
水運物流の要所として栄えました。

江戸末期に、住吉神社の献灯を兼ね、
住吉灯台(川湊灯台)が建設されました。
高さ約9mで、船着場跡の石畳と共に当時の面影を伝え1970年に
県の指定文化財の指定を受けています。

住吉神社
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この辺りは、室町時代から前野の渡船場があり、
室町時代から牧谷と上有知を結ぶ
重要な通路であり、先程訪ねた 対岸の前野から渡しで湊町に入り、
坂を上がって上有知の町に入るのが一般的だったと云われています。

対岸の 前野の慧照院のある辺りを写す[カメラ]

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渡し場と湊に沿った路は、商店、茶店、船頭屋敷が軒を並べて、
とても栄えましたが、明治の終わりに電車が開通し、
大正五年に渡しに代わって美濃橋が掛り、
この辺りは急速に廃れる事になった様です。


その美濃橋は、 1916年完成し、
長良川の左岸上有知と右岸前野を結ぶ 橋長113mの
当時日本最長の吊り橋で、現存する日本最古の近代的な吊り橋と云われます。
2003年に国の重要文化財の指定を受けました。

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吊橋を支える主塔は鉄筋コンクリート製、床板は木製で、
鋼材でできた補剛トラスがあるのが特徴と云われます。

自転車、歩行者用のつり橋ですが、かつては小型のボンネットバスが
通った事もあるそうです。

この辺りには、江戸時代に開かれた曽代用水が、今でも
長良川と小倉山の間を流れ、下流の人々の生活を潤しているそうです。

関村の3名が、新田開発の目的で 寛文七(1667)年に着工し、
私財を投げ打って、破産状態になりながらも、
十年の歳月をかけて作った17kmの用水路です。

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お腹が減ったため、街並みの方に戻って、和紙とうだつの町
御食事処の -山水本店-さん にて昼食です。

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前に訪れた時 https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2011-10-06 は、
満員で入る事が出来ませんでしたが、今日は、天気が不安定な事もあり、
うだつの通りの人も少なめで、お店も空いていました。

創業大正元年という老舗で、麺類や丼物、揚げ物、各種定食あるなかで、
お店の方お勧めの 土日セット1000円をセレクト。

ざるそばに ヒレカツ2個、エビフライ1本、茶碗蒸し、
赤飯のおにぎりと えび天むす、
デザートのゼリーがつくという 充実な内容!
どれも美味しくて 大満足!

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食後に、もう一度 古い町並みを散策して、バスの時間迄、バス停前の 
茶房ひなぎくさんで、コーヒーブレイク [喫茶店]

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築100年の古民家との店内は、収集された 
和の小物や人形やレトロな品々で溢れ、店主の姉妹!? の 
おばちゃんの おしゃべりと共に 楽しいひと時を過ごせました。
とくに、トイレに入った時、美濃和紙で出来ている トイレットペーパーの
重厚感・高級感には、さすが和紙の里 美濃市だと感心しました。

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バスに乗る直前から、雨がパラパラ。
乗った途端に、思いっきりどしゃ降りになり、
間一髪で 濡れずに済み ラッキーでした。








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