竹中重門ゆかりの竹中陣屋と 竹中半兵衛の居城跡 [戦国・パワースポット]
垂井駅から西北に3.5㎞、岩手という地に
竹中重治(半兵衛)、重門父子ゆかりの史跡が残ります。
半兵衛の父重元は、不破郡岩手城主・岩手弾正を攻略し、
翌年、この地に菩提山城を築いて大野郡大御堂城より居城を移し、
重治もこれに従う事になりました。
五明稲荷神社
岩手の集落の手前に、五明稲荷神社があります。
ここは盟友・黒田官兵衛の息子、松寿丸(のちの長政)を匿った場所
と言われています。
信長が三木城攻略中に、摂津有岡城主荒木村重が謀反を起こし、村重を説得
する為 赴いた黒田官兵衛は、逆に捕らえられ、石牢に幽閉されてしまいます。
戻ってこない官兵衛を信長は裏切ったと思い、人質であった松寿丸を殺す様に
秀吉に命じます。
官兵衛に二心が無いと信じていた半兵衛は、主君信長の命に背き、
密かに自分の居城に近い五明に松寿丸を匿ったのでした。
有岡城から救出された官兵衛は、息子が殺されたと思っていましたが、
松寿丸と奇跡的な再会を果たします。
しかし、その時は既に、半兵衛はもうこの世にいませんでした。
境内には、松寿丸がお手植えされたとされる銀杏の木が今でも残っています
竹中氏陣屋跡
竹中半兵衛重治は、黒田官兵衛孝吉と共に豊臣の名軍師としてその才を
如何なく発揮し、活躍しました。
半兵衛の代までは、菩提山山頂の城を居城としていましたが、山城が不便な為、
その子 重門が山の麓に陣屋を築いた と言われています。
その竹中陣屋跡には白壁の櫓門、がっしりとした石垣が残っており、
一族の隆盛を今に伝えます。
竹中重門は、父が早世した為 まだ幼く、秀吉に竹中の当主として
認められなかった為、石高は少なく、関ヶ原の戦いの際も、
西軍に与するつもりであったのを、黒田長政の説得と井伊直正の仲介により
西軍に急遽翻りました。
その為、関ヶ原本戦で奮戦し、戦後も小西行長を捕縛する等、功績をあげた
のにも拘らず、6000石の所領安堵で旗本のままが精一杯でした。
しかし、拳上や陣屋の立派さを見ても、交代寄合として大名と同じく
参勤交代を許されている事より、半兵衛の子孫である為か
大名格の扱いがされている様です。
竹中重門は、父親譲りの才知を文化の面に発揮したと思われます。
林羅山に師事して、文筆にも秀で、晩年には、
豊臣秀吉の伝記『豊鑑』を著しています。
また、最近、重門の連歌史料が何点か発見されましたが、
和漢の古典に対する造詣が窺われるものだそうです。
その流れを汲んでいると思われる施設が、陣屋の近くにありました。
竹中氏が天保年間に道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導した跡が
菁莪記念館として残されています。
江戸幕府は朱子学を官学とし、藩校などでは武士教育が盛んに行われ、
儒学の教育が浸透していましたが、旗本レベルにて教育施設が作られ、
明治になって菁莪義校、菁莪学校として発展しました。
現在、竹中氏ゆかりの品々、菩提山城や陣屋の復元予想模型図、当時の文献、
秀吉が半兵衛を説得している絵や甲冑のレプリカなど、約100点を公開している
そうですが、当日はあいにく休館でした。
禅幢寺
陣屋跡から北へ数百㍍進むと、竹中氏とその家臣の
菩提寺 禅幢寺があります。
薩摩国 金鐘寺(きんしょうじ)の正磧和尚(しょうせきおしょう)が
当地に来て開基となりました。
三木の陣において行年36歳の若さで病没した半兵衛の菩提を弔う為に、
その子重門がこの寺に墓石を移しました。
寺の裏の墓地に、父重元、弟久作の墓と並んで半兵衛の墓が
現在も建っています。
現存の本堂は重門の子、重常が寛文3年(1663)に建立したものです。
陣屋跡の西方に竹中氏の居城が構えられた菩提山があります。
山城は標高402mの山頂に、およそ南北260m、東西最大幅60mの広大な
天嶮を利用しており、堅固な造りと巧妙さは、類を見ない規模になっています。
標高402mの菩提山は、1時間程かけて登ると、大きく開けた山頂に到着する様です。
この場所が菩提山城跡で、南北におよそ206m、東西最大幅およそ60mの
広大な跡地であり、全国的にも珍しい、規模の大きな城跡と言われています。
現在、建造物は残っていませんが、堀切や堅堀などの遺構を見る事が出来る
そうですが、クマが出没するという事で登るのは危険の様です。
昨年2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』の時は、多くの人が訪れた との話ですが
今は静けさを取り戻している様です。
JR垂井と関ヶ原の中間なので、車でないと不便な所ではありますが、
これからの爽やかな季節、私の様に垂井駅前の観光案内所にてレンタサイクル:500円
を借りられて廻られるのも良いと思います。駅から20分もあれば陣屋に到着します。
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2013-04-08
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竹中重治(半兵衛)、重門父子ゆかりの史跡が残ります。
半兵衛の父重元は、不破郡岩手城主・岩手弾正を攻略し、
翌年、この地に菩提山城を築いて大野郡大御堂城より居城を移し、
重治もこれに従う事になりました。
五明稲荷神社
岩手の集落の手前に、五明稲荷神社があります。
ここは盟友・黒田官兵衛の息子、松寿丸(のちの長政)を匿った場所
と言われています。
信長が三木城攻略中に、摂津有岡城主荒木村重が謀反を起こし、村重を説得
する為 赴いた黒田官兵衛は、逆に捕らえられ、石牢に幽閉されてしまいます。
戻ってこない官兵衛を信長は裏切ったと思い、人質であった松寿丸を殺す様に
秀吉に命じます。
官兵衛に二心が無いと信じていた半兵衛は、主君信長の命に背き、
密かに自分の居城に近い五明に松寿丸を匿ったのでした。
有岡城から救出された官兵衛は、息子が殺されたと思っていましたが、
松寿丸と奇跡的な再会を果たします。
しかし、その時は既に、半兵衛はもうこの世にいませんでした。
境内には、松寿丸がお手植えされたとされる銀杏の木が今でも残っています
竹中氏陣屋跡
竹中半兵衛重治は、黒田官兵衛孝吉と共に豊臣の名軍師としてその才を
如何なく発揮し、活躍しました。
半兵衛の代までは、菩提山山頂の城を居城としていましたが、山城が不便な為、
その子 重門が山の麓に陣屋を築いた と言われています。
その竹中陣屋跡には白壁の櫓門、がっしりとした石垣が残っており、
一族の隆盛を今に伝えます。
竹中重門は、父が早世した為 まだ幼く、秀吉に竹中の当主として
認められなかった為、石高は少なく、関ヶ原の戦いの際も、
西軍に与するつもりであったのを、黒田長政の説得と井伊直正の仲介により
西軍に急遽翻りました。
その為、関ヶ原本戦で奮戦し、戦後も小西行長を捕縛する等、功績をあげた
のにも拘らず、6000石の所領安堵で旗本のままが精一杯でした。
しかし、拳上や陣屋の立派さを見ても、交代寄合として大名と同じく
参勤交代を許されている事より、半兵衛の子孫である為か
大名格の扱いがされている様です。
竹中重門は、父親譲りの才知を文化の面に発揮したと思われます。
林羅山に師事して、文筆にも秀で、晩年には、
豊臣秀吉の伝記『豊鑑』を著しています。
また、最近、重門の連歌史料が何点か発見されましたが、
和漢の古典に対する造詣が窺われるものだそうです。
その流れを汲んでいると思われる施設が、陣屋の近くにありました。
竹中氏が天保年間に道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導した跡が
菁莪記念館として残されています。
江戸幕府は朱子学を官学とし、藩校などでは武士教育が盛んに行われ、
儒学の教育が浸透していましたが、旗本レベルにて教育施設が作られ、
明治になって菁莪義校、菁莪学校として発展しました。
現在、竹中氏ゆかりの品々、菩提山城や陣屋の復元予想模型図、当時の文献、
秀吉が半兵衛を説得している絵や甲冑のレプリカなど、約100点を公開している
そうですが、当日はあいにく休館でした。
禅幢寺
陣屋跡から北へ数百㍍進むと、竹中氏とその家臣の
菩提寺 禅幢寺があります。
薩摩国 金鐘寺(きんしょうじ)の正磧和尚(しょうせきおしょう)が
当地に来て開基となりました。
三木の陣において行年36歳の若さで病没した半兵衛の菩提を弔う為に、
その子重門がこの寺に墓石を移しました。
寺の裏の墓地に、父重元、弟久作の墓と並んで半兵衛の墓が
現在も建っています。
現存の本堂は重門の子、重常が寛文3年(1663)に建立したものです。
陣屋跡の西方に竹中氏の居城が構えられた菩提山があります。
山城は標高402mの山頂に、およそ南北260m、東西最大幅60mの広大な
天嶮を利用しており、堅固な造りと巧妙さは、類を見ない規模になっています。
標高402mの菩提山は、1時間程かけて登ると、大きく開けた山頂に到着する様です。
この場所が菩提山城跡で、南北におよそ206m、東西最大幅およそ60mの
広大な跡地であり、全国的にも珍しい、規模の大きな城跡と言われています。
現在、建造物は残っていませんが、堀切や堅堀などの遺構を見る事が出来る
そうですが、クマが出没するという事で登るのは危険の様です。
昨年2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』の時は、多くの人が訪れた との話ですが
今は静けさを取り戻している様です。
JR垂井と関ヶ原の中間なので、車でないと不便な所ではありますが、
これからの爽やかな季節、私の様に垂井駅前の観光案内所にてレンタサイクル:500円
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