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まさか! 平成になってこんなに攻め入られるとは・・・[竹田城]の現実 [戦国]

お盆休みに、念願の竹田城を制覇する為に 早朝に家を出て、
京都より特急列車にて昼前には 和田山駅に到着。

―天空の城― ―日本のマチュピチュ― とのフレーズと、
雲海の上に浮かぶ石垣の写真を目にされた方も多いのては?
雲海は9月末からの晴れた日の早朝しかお目にかかれませんので
諦めていますが、日本で有数の完全な形で残る山城遺跡の
壮大なの眺望を楽しみに城に向かいます。
期待感MAX・過剰な妄想がふくらみます。


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この看板にある[雲海に浮かぶ竹田城]の写真、
よく旅行会社のパンフレットで目にしますね。 でも、これって
竹田城からJRの線路を越えた隣の山の立雲峡から撮られたものです。
しかも、雲海の発生する明け方に到着していなければならないので、
暗いうちに上る必要があるのです。


竹田城には、下から山を登るほかは、タクシーかシャトルバスでしか
乗り入れられませんが、「天空バス」は、8月は土日祝日運行の為、
なんとお盆の平日は運行されないとの事。

竹田駅はタクシーは待機していないとの事前情報で、
特急の停まる和田山駅でタクシーを待つも、その影も見えず。
駅前のタクシー会社は、「タクシーは出払っていていつ戻るか解らない」
先に乗り場で待っていた人も「どのタクシー会社にも 電話がつながらない」
とぼやいておられ、タクシーを待つ事を断念。
これが、今回の旅の厳しい現実、早くも暗雲立ち込めてちょっと不安。

播但線で竹田駅を通り越して、生野駅まで行って生野銀山を見学。
生野銀山へはタクシーで行き、帰りは路線バスで戻る予定でしたが、
路線バスはお盆の間は土日祝日ダイヤの為、時間が予定していたのと
違っており、播但線の電車に乗り遅れ、次の列車まで1時間半以上ありました。

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ちぐはぐの旅と諦めて、少しはりこんで生野駅からタクシーで行く事を決意。

生野銀山の行きに利用した「生野タクシー」さんにお願いして
遠路向かって頂きました。

タクシーの運転手さんによると、竹田城への要請が来ても、
30分かけてお迎えに行って15分位の賃走になるので割が合わず、
「すぐに来てください!」と呼ばれても、「30分掛ります」と言わざるを得ず
「そんなに待てません。もういいです」 と断られてしまうそうです。

わずか20km離れているだけで、竹田・和田山のタクシーとは、
かなり、景気の差がある様です。

8000円弱の料金を支払い、一番山頂に近いタクシー降り場まで
運んでもらいました。
ここから、山道をさらに700m、20分かけて徒歩で上がって行きます。

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山門のところで、見学料300円を払い、本格的登城となります。

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聞いていた感じより、かなり 坂道や石段は急できつかったです。

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大手門
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竹田城は
山名宗全がこの地に城を築くよう命じ、太田垣光景が初代城主と言われます。
この時期、但馬守護山名氏と播磨守護赤松氏の間で度々軍事的衝突が起こり、
山名氏が赤松氏をことごとく退け、滅亡させました。
かつての宿敵同士であった 山名氏と赤松氏それぞれの子孫が、和睦を結び
1988年に「山名赤松両軍慰霊塔」を建てました。

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その後、太田垣氏が7代にわたって城主を務めるも、信長の命による
秀吉の但馬征伐で1580年に落城。
変わって城代となった羽柴秀長が新しく縄張りを行い、
秀吉に投降した赤松広秀が文禄の頃より、豊臣秀吉の支援を受けながら
竹田城の石積みの城郭を整備し、壮大な城へ仕上げたものと言われます。

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ちなみに、赤松広秀は、-関が原の戦い-で西軍に属した事で、
戦後改易のピンチに立たされ、改易の危機を回避すべく
鳥取城攻めに加わって落城させる事に成功。
しかし、城攻めの時、大火を起こした事を家康から責められて
鳥取真教寺にて切腹。
城主を失い、城は廃城となりました。



竹田城の見どころは、穴太積み、算木積みという技法を用いた石垣が有名です。

穴太積みは、大津市坂本の穴太(あのう)衆という人々が持つ石積み技法です。
安土城や姫路城にも見られます。
自然石を加工せずに積む野面積みの一種ですが、
石の形により配置を考えて積む為、野面積みより崩れ難く 高く積めます。

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算木積みとは、石垣の出角部分において、
四角柱の石の長辺と短辺を交互に重ねて積んでいく技法です。
これにより、石垣の強度が増して崩れ難くなります。

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もうひとつ、縄張りと言って城郭の平面構成がハッキリわかるという事です。
織豊時代以降の竹田城は、最高所の天守台を中心に起き、本丸以下、
北方には二の丸、三の丸、北千畳があり 一方通行になっている
のでこちらから見て回ります。

二の丸
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三の丸
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北千畳
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南方には南二の丸、南千畳、平殿、さらに 天守台の北部には
花屋敷という曲輪があります。

ここは主郭の中で搦め手の位置にあり、南北に向かい合って石塁を築き
防御性を高めています。

搦手門
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南二の丸
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南千畳
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南千畳より天守台を望む
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眼下に 竹田の町並みを望む

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平殿
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花屋敷も以前は立ち入れた様ですが、現在立ち入り禁止となっており
写真は撮れませんでした。


一番石垣が見事なスポット

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城跡で不思議な石垣、パワースポットと呼ばれる石を見つけました。

北千畳 石垣に謎の印

この・・・・は何の意味があるのでしょうか?

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正門

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正門近くの鏡石

石垣の中で一際目立つこの巨大石を触ると、金運upのご利益があるそうです。

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竹田城は、平成に入って、観光客に攻められ続けられた為、石垣など
かなりのダメージを受けているとは聞いていましたが、聞きしに勝る状態で、
工事現場の様になっており、情緒・風情というものが失われているのが残念です。

2005年度には、僅か1万2000人だった入城者数でしたが、2012年度は約23万人、
2013年度はテレビや雑誌で紹介された影響もあり、50万人の大台に届いたとか。
 

石畳の道は、黒いウレタンのカーペットが敷き詰められてあります。

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あちこちに土嚢が積んであります。
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以前は入れたところも、ロープが張られたり、柵が作られたりしています。
昨年は天守閣台に上がる事ができたそうですが、事故があったとかで
今はそれも叶いません。
天守台から城跡の縄張りを眺めたかったのですが。

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ビニールシートがかけられています。
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石垣は小大名の城とは思えないスケールの大きさを見せ、
ほぼ完全に残されております。

同じ様な規模の山城で石垣が残る岐阜の岩村城が、説明・案内板が整備
されつつも石畳の道や石段などに当時のままの風情が残されているのに対し、

残念ながら手が入り過ぎてしまった感があります。
https://gifu-sengoku.blog.ss-blog.jp/2012-11-27

やはり、多くの人に攻められる事で、ロープーが張られ通行止めのフェンス
が置かれる前に登城すべきであったと 遅参を悔いる羽目になりました。

しかし、この城跡を保存し後世に残す為には仕方がない事ですね。
 

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